なーママふわ∞ポム日記

~関ジャニ∞を中心に、時折KinKi Kidsや嵐のことをふわふわと綴るブログ~

舞台『蜘蛛女のキス』感想

5/27~東京グローブ座で上演され、6/18で幕を閉じた舞台『蜘蛛女のキス』を観劇しました。

今回は既に終了した舞台なのでネタバレしています。また、本の記述を引用している箇所がありますが、この舞台の台詞と完全に一緒ではありません。

 

あらすじ

www.kumoonnanokiss.com

私が事前に読んだ本

私は観劇前に原作本を読んでおきたいタイプです。

ところが、この『蜘蛛女のキス』の原作本が本屋さんで見当たりませんでした。諦めモードで図書館に行くと、原作小説は貸出中でしたが、こちらの本がありました↓

蜘蛛女のキス (劇書房ベストプレイ・シリーズ)

蜘蛛女のキス (劇書房ベストプレイ・シリーズ)

 

この本の末尾にある「訳者あとがき」を引用します。

今回訳出したのは、同名の小説を元に作者のプイグ自身が舞台用に書き改めた戯曲『蜘蛛女のキス』El beso de la mujer arañaで、戯曲集『満天の星の下』(1983)に収められている。 

この本は台本で、今回の舞台『蜘蛛女のキス』は、細かい部分は違うところがあるものの、台詞やト書きはかなり近いものでした。

 

引用の下線部のとおり、今回の舞台は原作小説と内容が違うところがあります。

戯曲訳者によると、例えば、モリーナが語る映画の話について、小説では5つの映画を題材であるのに対し、戯曲では1つだけ、といった違いがあるそうです。

ですから、原作小説を読んで観劇した方は「どうしてここが抜けているんだろう」「ここが違う」と感じた方がいらっしゃったかもしれません。

舞台情報が解禁され一番最初に感じた疑問

この舞台の情報が解禁されたとき、全く原作を知らなかった私は『蜘蛛女のキス』との題名で大倉さんが単独主演なのがよくわかりませんでした。 題名だけを読めば『蜘蛛女』が主役であるように思えたからです。

そして、冒頭の戯曲訳本を読んでから、ますますそのことに興味を持ち始め、私なりに調べ、勝手に結論を出しました。

 

そんなわけで、ここからしばらくは私の勝手な解釈が長々と続きます。お付き合いいただける方がいれば嬉しいです。

 「蜘蛛女」とは

私は文学や歴史に全く疎いので、正しく理解していないところがあると思いますがご容赦ください。

 

本作のタイトルである『蜘蛛女』がモリーナを指すことは間違いありません。

なぜなら、終盤の場面にこんな台詞があるからです(以下、台詞部分は冒頭の訳本より原文どおり引用)。

バレンティン「あんたは蜘蛛女さ、男を糸で絡め取る。」

モリー「(喜んで。)まあ素敵!それ、気に入ったわ。」

 

ところで、訳者あとがきでこのような記述があります。少し長いです。

 一方、モリーナの人物像も発展するわけだが、それは彼がモデルとする映画女優たちを通じて達成される。つまり、様々なステレオタイプに自らを同一化させながら、結局彼はそれらを越えるのだ。したがって彼の死の選択も、そうした次元で捉えられなければならない。彼は所長との密約をバレンティンに教えることなく、自らそれに打ち克つのである。とはいえ結末は開かれているのであって、モリーナの死をどのように見るかは読者の判断に委ねられている。その意味で、小説そして戯曲の最後は読者に対する挑発であると同時に罠であるといえよう。つまり、そこに相変らず因襲的なクリシェとしてのヒロイン像を見出そうとするのか、人間としての尊厳を獲得したヒロイックなホモという新たなモデルを見出すのか。言い換えれば、文学的伝統と読者の意識の変革という問題が突きつけられているのである。したがって、伝統的には否定的イメージで捉えられてきた蜘蛛と女性の関係が、プイグの作品では肯定的なものへと逆転していることも考慮しなければならない。(原文通り)

この引用の太字部分「伝統的には否定的なイメージ」の蜘蛛と女性が何を指すのか、訳者は明らかにしていませんが、私はギリシャ神話に登場する「アラクネー」を指しているのかな、と思いました。

ギリシャ神話のアラクネー

参考までに、アラクネーのギリシャ神話のあらすじをご紹介します。

 アラクネーは機織り名人の人間だが、とにかく自信過剰で、神を信じていませんでした。アラクネーは神アテーナに機織りの勝負を申し込みます。彼女の織物自体は素晴らしかったけれど、その内容は神ゼウスを侮辱するものでした。アテーナは怒ってアラクネーの織物を引き裂き、額に手を当てアラクネーの思い上がりを諭そうとしますが、アラクネーは自殺します。しかし、アテーナはアラクネーにトリカブトの液をかけ、下半身を蜘蛛にした蜘蛛女として蘇生させ、永遠に蜘蛛の糸で機織りを続けさせています。

私が戯曲訳本を読み舞台を観たモリーナの印象からは、どうしてもこのアラクネーは一致しないし、プイグが示唆しているように思えませんでした。

ですから私は、訳者の意見である「否定→肯定」とは違い、プイグは別の蜘蛛と女性の関係をモリーナに当てはめたのではないかと思っています。

アメリカンインディアンに語り継がれるアシビカーシの伝説

アメリカの有名なお土産で「ドリームキャッチャー」があります。

拾い画ですが、これです↓見たことのある方も多いでしょうし、私もお土産でいただいたことがあります。

ドリームキャッチャーの起源は、アメリカンインディアンのオブジワ族。オブジワ族では、ドリームキャッチャーが人々を悪夢から守り、悪いエネルギーと悪夢を遠ざけると考えられています。その根拠は、この部族に語り継がれるアシビカーシの伝説です。

こちらのあらすじもご紹介します。 

 部族にはアシビカーシという蜘蛛女として知られる美しい女性がいました。彼女は蜘蛛女という容姿のイメージとは異なり、世界の生き物の世話をし、子ども達のベッドに目に見えない網を作って悪夢を網に絡ませ、子ども達を悪夢から遠ざけていました。

 そしてドリームキャッチャーは、悪は網をすり抜け、善は網に留まって子ども達のベッドの羽に落ちて子ども達を包むと信じられています。

 

ヴァレンティンがモリーナに「蜘蛛女だ」と言ったのは、二人が肉体的に重なった翌朝のシーンです。 それまでヴァレンティンはひどい眩暈に悩まされ、拷問を受け、下剤を入れた料理を食べさせられるなど心身共に追い詰められていました。

そんなヴァレンティンが、モリーナと肉体的に重なった翌朝に言ったのが、

「セックスというのは無邪気そのものだ」

でした。

アシビカーシの、蜘蛛女という醜い容姿と怖いイメージとは異なった深い愛情を感じる行動。

それは、身体的には男性なのに心は女性であるモリーナのアンバランスさと、ヴァレンティンに無邪気な安息を一瞬与えた行為に重なるものがあるように私には見えました。

原作小説はラテンアメリカ文学に分類され、プイグ自身一時期アメリカに亡命していた時期があることからも、プイグが意図した『蜘蛛女』はアシビカーシの方ではないかと私は思います。 

「キス」とは

こちらも訳者あとがきを引用します。長いですがお付き合い下さい。

 小説、映画、戯曲、舞台という形式の違いはあるものの、『蜘蛛女のキス』におけるクライマックスは、モリーナとバレンティンがキスをする場面だろう(略)。それは同性愛と異性愛、保守と革新といった二項対立が融合した瞬間であり、それまでの二人の弁証法的対話の結果を意味する象徴的行為である。このキスについては、モリーナの語る「黒豹女」に登場するイレーナの禁じられたキスとしてすでにほのめかされていたわけだが、精神分析医のキスは彼女に掛かっている魔法を解けなかったばかりか、彼に死をもたらすのに対し、バレンティンのそれはモリーナを魔法から解放する。ここに観られるのはお伽噺の典型ともいえる、魔法にかかった姫君に王子がキスをすることでその魔法が解けるというパタンである。だが、そのベクトルは一方的ではない。なぜなら、バレンティンマチスモや疑似フロイディズムに象徴される教条主義もまた変質をこうむるからだ。(原文通り)

引用のクライマックス前のシーンを冒頭の本から引用します。

モリー「お別れに、頼みたいことがあるの。あたしたちがまだ一度もしてないことよ、二人でもっとひどいこともしたけどさ。」

バレンティン「なんなんだい?」

モリー「キスよ。」

バレンティン「本当だ。」

モリー「でもそれは最後の最後、あたしが出て行くときにね。」

バレンティン「いいよ。」

モリー「知りたいことがあるんだけど……あたしにキスするの、気持悪いことだったの?」

バレンティン「うーん……きっと、あんたが黒豹にならないかと心配だったからだ。」

モリー「あたしは黒豹女じゃないわ。」

バレンティン「確かにちがう。」 

そして、クライマックスシーンも引用します。

モリーバレンティン……」

バレンティン「なんだい?」

モリー「別に……なんでもないわ……。」

バレンティン「……。」

モリーバレンティン……。」

バレンティン「どうした?」

モリー「なんでもない、ばかみたいなことよ……。」

バレンティン「してほしかったのかい?」

モリー「何を?」

バレンティン「キスだよ。」

モリー「ううん、他のことだったの。」

バレンティン「キスしてほしくないのかい、今?」

モリー「そうね、してほしいわ、あなたさえ気持悪くなければ。」

バレンティン「おれを怒らせる気か。(モリーナに近寄り、おそるおそる唇にキスをする。)」

モリー「……。」

バレンティン「……。」

モリー「ありがとう。」

バレンティン「礼を言うのはこっちだ。」

モリー「……。」

バレンティン「……。」

モリー「さあ、あなたの仲間の電話番号を教えて。」

バレンティン「そうしてほしけりゃ。」

モリー「メッセージを伝えるわ。」

バレンティン「分った。それがおれに言いたかったのかい?」

モリー「そうよ。」

バレンティン「(ふたたびモリーナを抱き締める。)そう言ってくれて、本当に嬉しいよ。電話番号は……」

このように、ヴァレンティンとモリーナは先に体を重ね、お別れの時に初めてキスをします。

 

次に『俺節』の原作話をします。ご注意ください。

 

舞台ではないシーンですが、原作俺節テレサが生板ショーの最中に客からキスをせがまれ「ノー!」ときっぱり拒否する場面があります。このシーンの前に、テレサは自分からコージの頬にキスをしています。ストリッパーのテレサにとってキスは特別なんですね。

 

そして、体は男でも心は女性であるモリーナにとっても、キスは特別なものだったのでしょう。それは、愛する人からもらう最大のプレゼントであると同時に、愛する人と今生の別れをも表すもので、政府から送られたスパイとして洗脳された自分を目覚めさせ、スパイとしての自分と決別するためのキス。それは儚くて美しく、胸を締め付けられる苦しいシーンでした。  

モリーナが主役でない理由

この舞台は、私を含め、観客の大多数が大倉さんファンの女性でした。

ですから、観客の大多数は、私を含め、モリーナの視点からヴァレンティンを見ることが多かったのではないでしょうか。その意味では、多くの観客はモリーナ同様『蜘蛛女』の気持ちになり、その視点でヴァレンティンを見つめ、最後のキスを見届けることになるので、劇場の中にいる人々の視線が最も注がれる人=ヴァレンティンなので単独主演なんだろうな、と私は勝手に納得しました。

感想

長々と書き連ねましたが、ここから感想です。

①開演中ずっと大倉さんを見ていられる贅沢さ

二人芝居、ストレートプレイは、演じる役者さんはとても大変だと思いました。舞台中ずっと2人が出続けているので、休息はとれないし失敗も許されない。ボイトレした横山さんや毎公演激しく歌う安田さんはもちろん大変ですが、お2人とはまた違った過酷さが大倉さんにはあったと想像します。

それは、ファンにとってはずっと大倉さんを眺めていられるというこの上ない贅沢を意味します。ヴァレンティンを演じる大倉さんです。とんでもない色気でした。はい…

渡辺いっけいさんの演技力はすごい

先ほども書いた通り、渡辺いっけいさんの演じるモリーナに観客はどんどん惹き込まれ、観劇中はモリーナに自分の感情を寄り添わせていたような感覚でした。それだけでなく、いっけいさんは大倉さんを上手く引っ張り、大倉さんの魅力を引き出す演技力をも兼ね備えていました。

 

私は先月『髑髏城の七人』を観劇して劇団☆新感線や役者さん、特に古田新太さんに圧倒されましたが、さすが古田さんの先輩にあたるいっけいさん。観客はほぼ大倉さんファンという圧倒的アウェイ、しかもかなりきわどいラブシーンやキスシーンがある中で、私よりも女性的な所作・感情の機微で観客をヴァレンティンを見つめるモリーナの視点にすっかり取り込んでしまう演技をされていました。いやぁ、すごかったです。

③ラストの演出の印象が違う 

観客のほとんどが大倉さんファンという視点は、演出の鈴木裕美さんも同じだったと想像します。 

 

冒頭の本の最後にト書きがあるのですが、このト書きと舞台のラストの印象がまるで違いました。鈴木さんが演出に関する質問をツイッターで受けてらっしゃったので私も質問してみようかと一瞬思いましたが、ここは観客それぞれが観て感じる部分のような気もするので、私の印象を大事にしておこうと思います。

ちなみに、私は鈴木さんの演出の方が好みでした。理由は、鈴木さんの演出が細やかで救いがあって、女性あるいは日本人が好むエンディングであるようにも思ったからです。

④最後に、大倉さんへ謝罪

あるシーンで、ヴァレンティンが食料に混ぜられた下剤によって「お腹が痛い」とのたうち回るのですが、

「迫真の演技だ…」

と思ってしまった私をお許しください。

もちろん、同じ腹痛でも大倉さんは出ないつらさで、ヴァレンティンは出さざるをえないつらさという違いがあるのは分かっていたのですが、そこだけはそういう目で見てしまいました(苦笑)

 

戯曲訳本を読んだときにこのシーンがあることは分かっていたので「まさか…ないよね…」と思ってしまったのですが、よくよく考えたらこのシーンはヴァレンティンとモリーナの関係が一気に近づく大切なシーンだからカットできるはずもなく。そしてそんな大切なシーンなのに……大倉さん、ごめんなさい。でも、とっても素敵なシーンでした。

 

きっと『蜘蛛女のキス』は、大倉さんの代表作の一つになるでしょう。私がこれまで観た大倉さんのお芝居の作品で一番好きだし、実は今も余韻に浸っています。これを引きずると言うのかな。

私はこれまで大倉さんの放つ一言や思考回路に興味がありましたが、それに加えてヴァレンティンを身に纏った大倉さんが忘れられません。罪な男…(笑)私の心の中で大切に保管しておきます。

 

大倉さん、お疲れさまでした。

そして、素敵な舞台をありがとうございました。