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なーママふわ∞ポム日記

~関ジャニ∞を中心に、時折KinKi Kidsや嵐のことをふわふわと綴るブログ~

22年前の1月17日

わたくしごと 関ジャニ∞安田さん

今日は1月17日。

22年前の今日、阪神淡路大震災が発生しました。

 

前回まで関ジャニ'sエイターテインメントの感想を長々と書いてきましたが、

1年365日の中で私にとって大切な日の1日が、今日1月17日です。

 

今回は、関ジャニ'sエイターテインメント感想の続きではなく、私にとっての阪神淡路大震災を書かせていただきます。

ほとんど自分語りですので、ご興味のある方はお読みいただけると幸いです。

 

1995年1月17日午前5時46分

当時高校生だった私は、電車やバスを乗り継ぎ片道1時間半近くかけて通学していたので、毎朝午前6時起床の生活でした。

この日もそろそろ起きる時間でしたが、まだ夢の中でした。

 

すると突然「ゴォォォーーーー」という低音の地鳴りが聞こえました。

すぐに異常が起きたと分かる、それはそれは恐ろしい音で、今でも鮮明にその音を覚えています。

私は直ちに目を覚まし、咄嗟に布団の中に全身を潜り込ませ、布団の中で体をダンゴムシのように小さく丸めて、腕で頭を覆いました。

まもなく強烈な縦揺れが襲ってきて、私は家が倒壊するのではないかと思いました。

 

しばらく続いた縦揺れがおさまると、隣室にいた父が入って来て「これから横揺れが来るからしばらくそのままにしとけ」とだけ言い残し、去りました。

父が部屋を去ったその瞬間から、父の言った通り、激しい横揺れが長く続きました。

 

こんなに強い地震を経験したのは初めてだったので、横揺れ中は「もう我が家は潰れてしまうだろう」「私は生きていられるだろうか」と考えていました。

しかし、横揺れがおさまり、窓の外を見ると近所では家が倒壊するなどの被害は全く見られませんでした。

 

リビングでテレビをつけると、各局騒然となっていました。

そして、今から考えると不思議な話ですが、そんな未曾有の災害時でさえ「今日って学校行けるのかな?」と、学校に行かなければならないと強く思い込んでいた自分がいました。

このときは、余震や二次災害のリスクなど全く考えが及んでいなかったのです。

それは、教育現場も同じでした。

 

余震が続く中、私はいつもは利用しない路線を乗り継いで学校へ行きました(今から考えると、あれだけの強い地震があったにもかかわらず、1時間半後には私は電車に乗っていましたから、おそらく各鉄道会社は入念な線路の点検をしていなかったと思われます。結果的に大事故が発生しなかったので良かったものの、一歩間違えれば大惨事につながっていたかもしれません。なお、おそらく当時は大震災時の対応マニュアルはなく、この震災をきっかけに作られていったと思われるので、当時としては致し方のないことだと理解しています)。

すると、クラスメイトのほとんどが出席していましたし、教師もごく通常通りの授業をしていました(私以外のクラスメイトが皆近距離というわけではありませんでした)。

ですから、この日が後世まで語り継がれる未曾有の災害だったとは、22年前の今日には思ってもいませんでした。

 

4か月後に訪れた三宮

震災から4か月後、私は三宮に行きました。

当時我が家はホストファミリーをしていて、我が家に短期ステイしていたカナダ人留学生が震災の現場に赴きたいと希望したからです。

 

当時の神戸は復興が進んでいない一方、物珍しさ目当てで観光地に赴くかの如く被災地を訪れる人が問題視されていたので、我が家でも検討を重ねましたが、短期留学生の強い希望と、そのような機会がないとなかなか自分たちが神戸に足を運ぶ機会はないという結論に至り、三宮を訪れることにしました。

 

今でも覚えています。

無数の倒壊した住宅。横倒しの高速道路。コンクリートの地面が至る所で隆起していたポートタワー周辺。2階部分が完全に押しつぶされ跡形もない建物。

敬虔なクリスチャンだったカナダ人留学生は祈りをささげていました。私もそれしかできませんでした。

 

NHKドキュメント72時間

www4.nhk.or.jp

この番組をご存知ですか?

上記で書いてある通り、ある場所で3日間カメラを回し、そこに行き交う人々にインタビューしたり、様子を撮影しています。

私たち夫婦のお気に入りの番組です。

 

年末のスペシャルで、2016年7月1日放送『京都 青春の鴨川デルタ』が放送されていました(上記リンクは昨年のバックナンバーで、そちらにも記載があります)。

この中に出演した、早朝に鴨川を眺めていた61歳男性へのインタビューが心に残っています。

 

学生時代を京都で過ごし、その後人生の節目節目で京都を訪れているこの男性は、最近重い病気が見つかり、若い時に酒を呑んで過ごしたこの風景を見ておきたいと思って鴨川デルタを訪れました。

男性は、自分が京都駅再開発工事のため泊まり込みで仕事に来ている時に阪神淡路大震災が発生し、神戸の自宅にいた奥様とお子さんを亡くしたとおっしゃっていました。

そしてポツリとこう言いました。

「そこからちょっと人生狂ってもうた」

 

昨年放送ですから、男性が40歳の時に阪神淡路大震災

おそらく奥様も今の私と同年代で、もしかするとお子さんも娘くらいの年齢だったかもしれません。

 

悲しみと感謝 

阪神淡路大震災震源地である淡路島から私の地元までは、高速を使っても車で2時間はかかるほど遠い距離で、私は直接の被害を経験していません。

そんな遠い距離で被害もなかった私でさえ、あの日から22年経った今でも鮮明に記憶している、忘れられない体験です。

ですから、より震源地に近い地域にお住まいの方々にとって、つらく悲しい記憶であることは間違いありません。

 

昨年の『ありえへん∞世界』で、安田さんがご自身の震災体験を語っていました。

尼崎は、兵庫県の中では大阪に最も近い市ですが、被害が大きかった地域の1つでした。

もしかしたら、上述の男性のお子さんと安田さんは同い年くらいで、もしかしたら安田さんの同級生や仲の良かったお友だち、ご親戚、近所のオッチャンオバチャンで亡くなった方がいらっしゃるのかもしれません。

余震におびえ、物資がなく、お風呂にも入れず、つらい被災生活を送ったかもしれませんし、ご自身がそうでなくとも、身近な方がそういう経験をしたのかもしれません。

 

だからこそ、安田さんが、あの悲惨な阪神淡路大震災から生き延び、ジャニーズ事務所に入所して、関ジャニ∞となり、私たちに毎日たくさんの幸せを届けてくれていること、それは奇跡だと私は思います。

これからも阪神淡路大震災の体験が安田さんの記憶からなくなることはないでしょうし、もしかしたら震災の体験が安田さんの作品に影響を及ぼしている部分もあるのかもしれません。

そういう安田さんを、私はこれからも応援していきますね。

 

安田さん。関ジャニ∞の皆さん。

あの阪神淡路大震災を生き延びてくれてありがとう。

22年後の今日、たくさんの力を私に与えてくれてありがとう。

そして、来年の1月17日も、この先の1月17日も、どうぞよろしくお願いします。