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なーママふわ∞ポム日記

~関ジャニ∞を中心に、時折KinKi Kidsや嵐のことをふわふわと綴るブログ~

しゃべくりファンから見た【ゲスト・村上信五】回のしゃべくり007

関ジャニ∞村上さん

<最初に>今回の記事は相当長いので、お時間のある時にお読みいただけると嬉しいです。

 

「お知らせ、お知らせ…あぁ。来週のしゃべくりに出ます。」

その一報は、3月9日のイフオア昼公演で本人から直接発表され、会場に「キャー!!!」という歓声が響き渡りました。

しゃべくり007の概要

しゃべくり007は2008年7月から放送が開始され、私はその初回から、一度も欠かすことなく観ています。

当初この番組は土曜夕方に30分枠で放送されていました。番組開始当初、司会は番組冒頭にピストル型のくじ引き方式で決められ、その司会だけがくじ後にカンペを渡され進行を開始するというやり方だったので、MC慣れしていないメンバーが司会になってぐちゃぐちゃになることもありました。

司会がほぼ固定されゲストを呼ぶ現在のやり方になってからも、しゃべくりメンバーがゲストや企画内容を知らされないスタイルを貫いています。一方、ほとんどのゲストは予め企画内容を知らされています。というより、スタッフとゲストとの事前打ち合わせが行われ、企画が作られるのがほとんどです。

 

以上を前提に、今回の記事をお読みいただけると幸いです。

イフオアで本人が発表した時の様子

イフオアで村上さんが喋った内容のレポは既にたくさん流されていると思うので、ここからはあくまで私の主観として述べます。

 

村上さんが冒頭のお知らせの後に、

「いや、ずっと断ってたんですけどね、どうしてもと言われうちのチーフが断り切れず、今回急遽出させていただくことになりました。今しゃべくりスタッフが大急ぎで編集していると思いますし、どこが使われるのかはわかりませんけど…」

と、村上さんにしては珍しく後ろ向きな表現を使っていたのがずっと引っかかっていました。

もちろん様々な理由があると思いますが、オンエアを観て思ったのは、

①MCでなくゲスト(しかも単独出演)の立場という不安

月曜から夜ふかしとは真逆の、持ち上げられる企画であったことに対する戸惑い

③しゃべくり007の真骨頂ともいえる「台本がなかった」ことに対する不安

という理由があったのではないかと思いました。

そこで、これら理由をもとに今回のしゃべくり007を考えたいと思います。

実は高度な仕事をしているしゃべくりメンバー

視聴者の多くは、気になるゲストの場合のみしゃべくり007を観るという方だと思いますので、頻繁に番組を観ていない方向けに話をします。

 

月曜22時枠に移動してからのしゃべくり007は、ゲストとのトークと企画によって番組が進行しています。そして、ほとんどのゲスト(但し、一部のお笑い芸人を除く)の最大の目的は『番宣』です。

ところが、この番組では決められた台本や企画通りにトークが進行するわけではありません。そんな番組は、同じ日テレで昼間なら『メレンゲの気持ち』、夜なら『おしゃれイズム』がありますから、これ以上必要ないでしょう。

 

しゃべくり007が番組当初から貫く「予め台本を渡さない」スタイルを、しゃべくりメンバーは難なくこなしているように見えますが、よく考えてみて下さい。彼らは事前にゲストが誰であるか知らされることなく、ゲストの登場と同時にそのゲストに関し彼らの脳内に蓄積された情報を一瞬で引き出し、ゲストの魅力を最大限に引き出すホストとしての役割を務めなければならないのです。一般人で例えるならば、いきなりたくさんの人の前で何かの司会を務めなければならなくなったようなものでしょう。

 

それだけでなく、番宣目的のゲストの多くは台本がないことに慣れていません。特に俳優や女優の場合、彼らの仕事には台本があり、台詞を覚え、それに沿って監督や演出家の意向に従って演技をするのが基本ですから、彼らの仕事に台本がないということがありえないのです。

ですから、ゲストの多くは、MCに話を振られて答え、脇にいるその他のしゃべくりメンバーに言われるがままに、時にはイメージに関わるようなことでさえやらされることがあります。当然その無茶ぶりを面白いと感じる人/不快に感じる人に分かれるでしょう。ですが、少なくとも俳優や女優は「好きなことを喋ってください」と言われるよりも「これをこういう風にやってください」と言われた方が、職業的にはやりやすいという見方もできます。

 

そして、これはMCをメインに仕事をしている村上さんにも通じます。ジャニ勉にせよ村マヨにせよ、村上さんのほとんどの仕事はまず台本に目を通すことから始まると思われます。ですから、台本に目を通せないことに不安を感じても何ら不思議ではありません。

加えて、今回は単独出演。他のメンバーがいればそのメンバーとの掛け合いで求められたバラエティ力を発揮できるけれど、それができない。いつもゲストの良さを引き出す立場に専念している村上さんが、引き出される立場になって面白いことを言えるのかと心配するのは当然ともいえます。

皮肉にも露わになった「NG」の存在

今回村上さんは「ジャニーズなのにNGなし」というテロップが出されていました。

これを裏返せば、ジャニーズタレントにはNGが存在するということです。

ジャニーズだけでなく俳優でも女優でもNGは存在することに間違いない*1ので、ここでは「お笑い芸人以外のゲストにはほぼ間違いなくNGが存在する」と定義します。

ですが、しゃべくりメンバーの立場で考えてみてください。

もし、台本なしでNGアリのゲストとフリートークしてくださいと言われたら、何をしゃべっていいのか困りませんか?

ですから、あの7人は、視聴者が思っている以上に相当注意を払いながらゲストからトークを引き出しています。

だけど、そのことにも限界がある時があります。

それは、ゲストがあまり話をする気がなかったり*2、話が広がらなかったり、トークがフワッとしたものになった時です。

そんなとき、しゃべくりメンバーはゲストを使って、あるいはゲストを放置して、内輪で盛り上がることによりトークネタを昇華させる時があります。

しゃべくり007にはいくつかのお決まりパターンが存在する

そのパターンを、今回の村上さんゲスト回のトークネタを使って説明します。

ですが、実際にはいずれもお決まりパターンで終わっていませんので、予めご了承ください。

※まだオンエアをご覧になっていない方はご注意ください※

 

前提として、基本的にしゃべくり007は、画面左側がボケ担当(有田さん、ホリケン、徳井くん)、右側がツッコミ担当(名倉さん、福ちゃん)&泰造さんのボケ担当、と分けられています。 

 

【パターン1】ゲストの特技に対し、ボケ担当が「俺もやってみたい」と次々やり出すパターン

「カッコいいダンスを踊って」と言われた村上さんが、ダンスをしたシーン。

通常、ゲストには音楽が用意され、キメキメのダンスを披露し、大歓声と拍手で終わります。そこに、有田さんが「俺もやらせて」と言い出し、音響に同じ音楽をかけさせ、もたっとしたダンスを踊ります。次に、徳井くんもしくは泰造さんが「俺もやっていいですか」と言い出し、有田さん同様同じ音楽をかけさせ、彼らのキャラに合わせたヘンテコダンス*3を見せます。最後にホリケンが「俺も…」と言い出し、音楽が鳴ってダンスを始めるとすぐに「はい、終了~」と上田さんが強制終了する、というパターンです。

このパターンは、「PERSONの表紙の顔をやってみて」と言われた村上さんが表紙のとおりの顔にトライしたシーンで、通常は、用意された写真通りのキメ顔を見せたゲストに続き、ボケ2人が変顔を披露し*4、最後のホリケンでわざと目を二重にした顔を披露し、上田さんに「失格!」で終わるパターンとも通じます。

 

【パターン2】ゲストの話を地蔵のように固まった無表情で聞くひな壇メンバー

「恋愛話をすると周りに小馬鹿にされる」という村上さんに「じゃあ笑わないから真面目に話してみて」とやらせたシーン。

通常、ゲストはイメージ通りの恋愛トークを繰り広げ、お客さんは反応するものの、上田さん以外のしゃべくりメンバー全員が地蔵のように固まった無表情な顔で一切の反応をせず、最後に上田さんが「お前ら聞け~!」とツッコミを入れて終わるパターンです。

 

「お決まりのパターン」というと一見ネガティブな言葉にも思えますが、私はそのような意味で言っていません。ゲストの話を面白く見せ、収録の撮れ高を増やすために必要な技術だと私は思っています。

今回がパターンから外れた理由

ところが、既に皆さんがオンエアを見たとおり、今回はこのお決まりパターンがあまり見られませんでした。

迷わずバラエティを選ぶ村上さんがしゃべくり007を観ていないはずがなく、当然このパターンも知っていると思うので、もしかすると村上さんは収録後に「いつも見ていたしゃべくりの感じとちゃうな…」と不安を抱いたのかもしれません。

 

それでは、どうして今回お決まりパターンとならなかったのかを考えます。

 

【理由その1】しゃべくりメンバーが終始村上さんを「ジャニーズアイドル」として扱ったから

当たり前ですが、しゃべくりメンバーは『お笑い芸人』で、ゲストの村上信五は『ジャニーズアイドル』です。お笑い芸人が村上さんをお笑い芸人扱いすれば、それは「プロのお笑いがジャニーズアイドルの笑いに負けた」と自分で言うようなものです。ですから、これはブラックマヨネーズが村マヨで村上さんに接するときと同じですが、世間の村上さんへの見方がどうであれ、お笑い芸人にとって村上さんはジャニーズアイドルであり、そこをコケ下ろす笑いには決してしません。それは、お笑い芸人のプロとしてどうしても譲れない部分と言っていいと思います。

 

【理由その2】しかし村上さん一人の力でほぼオチ前のボケが成立していたから

通常のゲストは、ボケないしツッコまないし、一問一答で聞かれたことに答えるのみなので、バラエティ番組として話を広げるためにはボケ(しかも複数)の存在が必要になります。

ところが、今回村上さんは、上田さんを中心としたしゃべくりメンバーからの質問に対し2倍3倍の答えを返し、常にそこから話をさらに広げられる話のタネを(おそらく無意識に)散りばめていました。

上述のしゃべくり007のお決まりパターンで考えると、

「カッコいいダンス」は2度も踊ったのにダンス中に関西弁を連発してしまったことでカッコいいダンスが成立せず、

「PERSON」は3回トライしても表紙の再現ができずに残念な顔で終了し、

つまり、通常のパターンで有田さんや徳井さん・泰造さんがやるボケまで村上さん一人の力でやってしまいました。

「恋愛話を真面目にする」に至っては、村上さんのド天然が炸裂して「おきもの」と言って「お着物」か「置物」かわからない小ボケでしゃべくりメンバーを動揺させ、カメラ目線*5の「ついてきてくれるか」でしっかりボケを決め、ゲスト一人で笑いを起承転結させるという大技を繰り出しました。

 

【理由その3】しゃべくりメンバーが自ら普段とは違う立ち位置に転じたから

上述のお決まりパターンで書いたように、通常のしゃべくり007では、ひな壇メンバーはボケ4名・ツッコミ2名でほぼ進行します。

ところが、今回は上記【理由その2】で書いた通り、村上さん一人でオチ前のボケは完結していたので、かなり早い段階で、特攻~2陣ボケ部隊である有田さん・徳井くん・泰造さんが「笑いを作らなければ」と気負わなくていいと察したのです。

したがって今回は、ボケ1名(ホリケン)、ツッコミ3名(名倉さん、有田さん、徳井くん)、その場を心から楽しむ人たち(泰造さん、福ちゃん)という布陣になりました。

この点は、もしかすると村上さんを大いに心配させたところかもしれません。

先生コーナーは視聴者のために番組側が用意したプレゼント

全ての村上担さん・eighterさんが見たくても入手困難なイフオアのチケット。

そこでしか見られない先生の講義が、今回じっくり披露されました。

全国の村上担さん・eighterさんが歓喜した一方で、当の本人とそれを見たしゃべくりメンバーは複雑だったと思います。

 

バラエティを重んじる村上さんにすれば、生半可な気持ちでやっているわけではない大事なものとはいえ、アイドルの自分が本職の目の前でコントを披露することは抵抗があったでしょう。

一方、これを見たしゃべくりメンバーも複雑な心境だったでしょう。

私がそう思った理由です。

①ネタ元がジャニーズのため、爆笑して当該グループファンや事務所関係者から批判されるという不安があった。

②このネタをお笑い芸人がやれば、間違いなく非難の対象となる。したがって、このネタを使えるのはジャニーズ内タレントだけであって、そこに着目した村上さんに対する感心。

③「レギュラー番組を多数抱える村上くんが、いつ・どうやってこのネタを作り仕上げているのか…」という本職ならではの疑問。

 

最後に上田さんが「アイドルではない。なぜならアイドルはネタを作らなくていい」と言ったのは、「村上くんはジャニーズアイドルなんだから、そのままで十分なんだよ」という意味もあると思いますが、私はそれよりも「忙しい中でのネタ作りは本当に大変だろうから、無理しないようにね」という、お笑いやネタ作りの難しさを知る本職のお笑い芸人ならではの労いの言葉に受け取りました。

 

そんな、出演者全員が複雑な心境になることを見越してでもこのネタを披露することをスタッフが決めたのは、その後の「実はハイスペックアイドル」に繋げるための伏線であり、イフオアを観られない全国のファンに対するプレゼントだったと私は思っています。

「しゃべくり007でお決まりパターンがなかった」 はゲストが仕事をした証拠

しゃべくり007でお決まりパターンがなかったということは、しゃべくりメンバーが「面白くしなきゃ!」と頑張る必要がなかった、それだけ十分面白い内容だとしゃべくりメンバーが判断したという意味です。

つまり、ゲスト自らがしっかり主導権を握って話の中心に自分を置き、バラエティ番組を成立させているということです。

 

特に、お決まりパターンがなかった今回で重要なのは、

第一に、徳井くんがツッコミに転じたことです。

特に私が「!!」と思った徳井くんの台詞が、

「関西人から見ても、自分、関西弁キツイで」です。

徳井くんと同郷の私の偏った考えかもしれませんが、

京都出身男性がそれほど親しくない相手を呼びかけるときに「自分、」とは使いません。そこは「○○くん(さん)、」と置き換えられるからです。

つまり「自分、」を京都出身男性が使う時は、京都人男性自身が相手にある程度の親近感を持っているということになります。

したがって、徳井くんは、村上さんの関西弁が強いことでアイドルらしからぬ部分に容赦なくツッコむことができる、その前フリのボケを託せるゲストと判断したうえでツッコミに転じたといえます。

 

第二に、泰造さんがその場を心から楽しむ人になっていたことです。

実は、(ゲストが誰だったか忘れてしまいましたが)以前にもこのようなことがあり、他のメンバーから指摘を受けた泰造さんが「だって楽しいんだもん!」と言い返していたのを覚えています。

つまり、泰造さんがボケをせずニコニコしている=現場の雰囲気がとてもいいということを示しています。

 

そして、最初の方で村上さんが後ろ向きの発言をした理由として挙げた②夜ふかしとは真逆の持ち上げられる企画について、しゃべくりメンバーは、通常、ゲストと打合せしたうえでの企画コーナーに村上さんはノータッチで参加していて、かつ戸惑っていることに気付いたのでしょう。最後に、モデルか童貞を選ばせ、「いつもの村上くんらしく」話のオチをつけさせていました。

 

イフオアで村上さん本人が語ったところによると、この回は、多忙な村上さんのスケジュールに合わせて通常とは違う日もしくは時間に収録されたようです。

そのことに恐縮しきりの村上さんでしたが、実はこのようなことは(特に大物有名人の場合)時々あるとメンバーが言っているのでそんなに気にする必要はないと思いますが、イレギュラーなスケジュールで集められたしゃべくりメンバーに過剰な気を遣わせずにしっかりとゲストとしての仕事を務めようとする村上さんの心意気をしゃべくりメンバーはしっかりキャッチし、ゲストと一体になって楽しんでいました。

自分がかれこれ9年近くずっと観てきた番組で、自分が応援している人たちが楽しくしゃべっている姿に私は感動し、思わずツイッターで呟いたところ、たくさんのeighterさんに共感され、RT・ファボ等々していただきました。本当にありがとうございました。

 

結論

私は、関ジャニ∞ファン歴よりもしゃべくりファン歴の方がずっとずっと長いです。

そんな私から見て、今回の村上さんゲストの回はとても楽しい回でしたし、これまで出演したジャニーズアイドルの中で群を抜いて面白い回でした

そしておそらく、今回を超える面白い内容にできるジャニーズアイドルは、おそらく誰も出てこないでしょう。

つまり、村上信五の「実はハイスペックアイドル」の中には、見た目やアイドルとしての素質のハイスペックだけでなく、番組を盛り上げたり出演者に過剰な気を遣わせないハイスペックも含まれていた、ということが明らかになった回だと言えるのではないでしょうか。

*1:例えば、2か月ほど前にドラマ『東京タラレバ娘』の3名の女優がゲスト出演したが、当然ながら主役の女優に「フライデーの彼とは順調ですか?」とは聞かなかったし、昨年結婚した女優に対して結婚生活すら聞かなかった。

*2:立場上やむを得ないのかもしれないが、個人的にはそういう人はこの番組に出るべきでないと思う。

*3:徳井さんは大抵自ら『コンテンポラリーダンス』と呼ぶヘンテコダンスを披露する

*4:有田さんは大抵プロレスラーの顔真似をする

*5:クロニクルで培われた力が発揮された

村上信五の恋愛ドラマを妄想する

私の勝手な妄想 関ジャニ∞村上さん

イフオア大阪公演に届いたテレ朝ドラマ班からのお花から始まり、日テレ10月期ドラマの噂など、このところ村上さんがドラマに出演するのでは、という情報が駆け巡りました。

以前も書いたとおり、関ジャニ∞の中で「演技に向かない」と自ら発言する村上さんですが、私はそうは思わないのです。

確かに東京生まれ東京育ちの役柄は合わないかもしれないけど、関西出身の仕事のできる男の設定なら恋愛ドラマでキュンキュンさせられると思うんですよ。

そんな男の恋愛ドラマを観てみたい!という私の勝手な妄想が暴走し、ついにストーリーを考えてしまいました。しかもめっちゃめちゃ長いので、「きっしょ!(by渋谷すばる)」という方はこのまま引き返していただき、温かい心でお読みいただける方のみお目通しいただけると幸いです。

~ストーリー~

出会い 

今日発表された人事異動を見て、私の胸の奥にあった小さな針先ほどの傷の痛みを鋭く感じた。

「4月1日付 村上信五 本店営業部第3営業課課長」

 

彼と私は、同い年の同期入社だ。

彼も私も総合職入社で、私が入社した頃は女性の総合職を増やそうと各大手企業が躍起になっていた時代。私も、そんなバリバリの女性総合職を目指して今の都銀に入社した1人だ。

彼も私も一番最初の配属先が新宿支店で、他にも10名の同期が同じ新宿支店に配属された。私たちは週末になると10名で集まっては仕事の愚痴を言い合い、時には日が昇るまで熱く語り合った。そんな遅い時間まで残っているのは同期の女性で私だけだったから、いつも「お前こんな時間まで大丈夫なの?」と他の男性同期には心配されたが、彼だけは決まって「俺らがちゃんと送り届ければ大丈夫や!」と、仕事でもプライベートでも決して変わらない関西弁でみんなを説得していた。

私はそんな彼と同じ融資担当だったこともあり、他の同期よりもさらに飲みに行くことが多かった。当時私には大学の先輩で商社勤務の彼氏がいて、その愚痴や相談もよくするようになった。彼は毎度「ほぇ~~」とか「そやなぁ」という相槌を打ちつつ、最後には決まって「まぁ、明日の夜、酒飲まんとお前から仲直りせえ!」と言われるのがオチで、結局私も彼氏と仲直りするという日々が続いた。

 

最後の一夜 

入社から丸3年を迎えようとした3月。

村上信五は、東京から遠く遠く離れた小さな街の支店に異動することが発表された。

地方では地元の銀行や信用金庫が強く、大手都市銀行の入り込める余地はなかなかない。つまり、彼の異動は出世コースから外れたことを意味していた。

この頃、私自身この先も大手都市銀行の総合職として働き続けられるのか、不安に感じていた。そのうえ、商社勤務の彼氏が浮気を繰り返していたことが発覚したが、25歳という年齢で周りが徐々に結婚していくなか、彼との関係を清算する勇気などあるはずもなく、ずるずると関係が続いていた。

そんな弱い私を全て知る唯一の存在である村上信五が遠い遠い街に異動してしまうこととなった。

 

彼の最後の新宿支店勤務が終わり、私たち同期10名は彼の壮行会を開催した。

明日の仕事が早いから…と1人、また1人と途中で人数が減り、最後には私と彼が2人きりになった。完全に泥酔していた私だが、壮行会で彼が言った「俺、もう借りてた家引き払ったから、今日はホテル泊まりやねん。」という言葉だけはしっかり覚えていて、歌舞伎町のど真ん中で「じゃあさぁ~~、これから村上のホテルの部屋で飲み直そ~よぉ~~~!」と大声で叫んだ。彼は慌てて私の口を彼の右手で塞ぎながら「ちょっ、おまっっ、何言うてんねん!!」と動揺していて、そんな彼の顔を見て、私は彼の右手を両手で掴んで口から無理矢理剥がすと「村上のホテルの部屋に行きたい!行きた~~~~い!!」とさらに大きな声で騒いだ。彼は「こらっ!大声出すな!誰が見てるかわからんやろ!わかった、わかったから大声出すな!」と私を制したので「今、言ったね?はい、じゃあ行くよ~~~!」と、先ほどから力強く握っていた彼の右手を、今度は両手で引っ張って彼の泊まるホテル方面へと歩き始めた。

 

彼は「お前な~、ホンマ…」とブツブツ言いながらホテルの部屋を開け「ほれ」と入室を促された。「部屋、何も酒ないで。まさか誰か来るとは思わ…」と言いながら部屋の奥に入っていく彼の背中に、私は後ろから抱きついた。「…お前どうしたん?何かあったんか?仕事か?それとも彼氏か?」と低めの声で尋ねる彼に「…今日は帰りたくない…」と小さな声で答えた。「…仕事のことでも彼氏のことでもいつでも電話してきたらええ…」と言いかけた彼を遮り「今日は、…今日はこうしてたい…こうじゃなきゃイヤ…」と私はワガママを言った。「…俺、お前の方に向いたらもうアカンで。」と言った彼の左腕を掴み、私は彼をこちらに向かせた。「…もう知らんぞ…」と吐き捨てるように言った彼は、ふわりと優しく、だけど力強く私を抱きしめた。

私は泥酔していたけれど、この夜のことを今でもはっきりと覚えている。彼の体は細いけれど筋肉質で、彼はずっとベッドの上で私の右手を彼の左手で恋人つなぎの形で握ってくれていた。その後、彼は腕枕をしながら、彼の細く長いしなやかな指で私の頭をずっと撫でてくれていた。そんな彼の温かい体温を感じながら、私は安心して眠りについたのだった。

 

翌朝目覚めると、彼の姿はなかった。ベッドの脇のテーブルに「今日は得意先の挨拶廻りがあるから先に出る。チェックアウト、12時までに延長しといたからゆっくり休んでいきや。」と書かれたメモと500mlのスポーツドリンクが置かれていた。フロントに行くと、延長料金も既に支払われていた。

 

その後の10年 

あれから10年。私は彼に1回も会っていないし、電話もかけなかった。正確に言うと、会わせる顔がなかったし、何を話していいのかわからなかった。彼は、持ち前の人懐っこさと親しみやすさで、遠い遠い小さな街で地元の地銀や信金を凌駕する営業成績を残し、次の異動先である政令都市では20代のうちに主任に昇格して、ここでも成績を残した。その次の異動地は彼の本拠地ともいえる関西の主要都市だったこともあり、わずか1年目で全支店通じての成績トップを獲得し、易々と係長に就任。まさにどん底から本店営業部の課長という異例の出世スピードで東京に帰ってきた。

片や私は、彼と一夜を共にしてからまもなく商社勤務の彼氏と別れた。だけど、成績は思うように伸びず、関東近辺の支店を転々としながら、総合職にもかかわらず一般職女性行員と同じような仕事を担わされることも少なくなかった。上司からは「女の子だから」と一般職扱いされ、一般職の女性行員からは「総合職の女性だから」と妬み嫉みの対象とされ、つい2年前にかろうじて主任に就き、何とか本店営業部第3営業課の一主任として本店に転属された程度のキャリアしか積めなかった。気が付くと課内の独身女性は、一生独身キャリアを貫くと公言しているキャラの強い女性と私しかおらず、そんな状況に焦った私は、4つ年下の本店システム管理部に所属する男性行員から言い寄られ、勢いに押されて1年の交際を続けていた。

 

4月1日。

私と彼が、同じ職場で再び働くこととなる。

だけど、ただの同僚でなく、直属の上司と部下として。

私は緊張の面持ちで当日を迎えた。

 

再会 

彼は、第3営業課に、営業部長と他の課長と談笑しながら入って来た。

課内の男性行員は「あれが村上さんか…」と尊敬のまなざしで見つめ、女性行員は「モデルみたいな体型…!」と色めき立っている。課内で唯一、私だけが顔をこわばらせて課長が来るのを見つめていた。

「この度、第3営業課の課長を務めさせていただくことになりました、村上信五です。よろしくお願いします。」と型通りの挨拶を終えると、課内の男性行員が彼の周りを取り囲んでの挨拶合戦が始まった。その男性行員の後ろに、まるで二重丸の外側の丸を描くように、女性行員が男性行員の挨拶が終わるのを今か今かと待ち構えていた。「頑張ろなー」という声が聞こえなくなり、二重丸の形が崩れ、ようやく彼の姿が視認できた。私は一歩一歩二重丸の中心に近づき「課長…」と挨拶しようとした。

すると彼は「誰が課長や!」と私に向かってガツンと一言放った後、「昔は『村上ーーーっ!』って言うてたくせに」と続け、顔をクシャっとさせて笑った。「えっ?課長は主任とお知り合いなんですか?」と入社2年目の男性行員が彼に尋ねると「知り合いも何も、同期や。入社していっちゃん最初の配属先も一緒。え?アイツ何も言うてへんの?」とつぶらな瞳をさらに丸くして男性行員に返答した。知りませんでした、と小声で返そうとした2年目の男性行員を振り返ることもなく、彼は私の方に歩を進め「まぁ、よろしく頼むわ!」と笑顔で言った。

 

何も変わっていない。

10年前と何にも変わらない彼がそこにいた。

 

4月の最終金曜日。

この日はプレミアムフライデーだったので、午後3時30分から課長の歓迎会が行われた。

相変わらず課長の周りには男性行員が群がって仕事のことをあれこれ聞き、次いで女性行員が群がり、彼女はいないのか、休日は何をしているのか、とまたも根掘り葉掘り聞き出していたが、彼はそれら一つひとつに丁寧に答えを返していた。

すると、入社7年目の男性行員が「そういえば課長と主任って同期なのにあまり話ししないんっすね。」と話を振ってきた。突然の質問で動揺した私に対し、彼は「当たり前やろ。お前らが次から次へと根掘り葉掘り質問してくるから、俺がアイツと話しする時間ないっちゅうねん!」と返し、「それもそうですね、すみません、ハハハ!」と周りは一瞬で笑いに包まれた。

 

歓迎会は午後6時に終了し、二次会の話が持ち上がったが、彼は用事があると言って帰っていった。残された課内の人間が「彼女に会いにいくんだよ」などの立ち話で盛り上がっていると、私の携帯に彼から電話がかかってきた。

「あー、俺。今日時間ある?ほれ、新宿でよう行っとったあそこのバーに今から行けへん?ほな、俺先にそこで待ってるわ。」と言うと、電話が切れた。

立ち話組が「システム管理部の彼からですかぁ?ラブラブですね~!」と冷やかす声をシャットダウンし、私は新宿に向かった。

 

バーに入ると、奥のカウンターに彼が見えた。

あの頃と同じ席、同じお酒。

まるで10年前にタイムスリップしたかのようだった。

近づくなり彼は「はぁ~~、疲れた。アイツらほんまよう喋るわ。」とため息交じりに言った後、

「おっす。元気か?」と上目づかいで私を見つめた。

それから私は堰を切ったようにこの10年間のことを一方的に話し続け、彼は黙って話を聞いてくれた。午後3時30分という昼間から呑み始めたせいかどんどん酔いが回って、私は次第に記憶が薄れていった。

そして気が付くと、歌舞伎町のど真ん中にある24時間営業の喫茶店で私は眠っていて、肩には懐かしいにおいのするスーツのジャケットがかけられていた。ふと顔を上げると、右ひじをつきながらうたた寝する彼がいた。

「あっ、ごめん!」と声をかけると、彼は「う……ん?おぅ、起きたか?」と目を細めてこちらを見た。時計を見ると午前1時。「ごめん!また付き合わせてしまって…」と言うと「それはええねんけど、お前の携帯鳴りっぱなしやったで?システム管理部の彼氏ちゃうんか?」と言われたので、慌てて携帯を確認すると、彼氏から30件以上の着信履歴と「今どこ?」のLINEが50件以上入っていた。思わず「はぁ~」とため息をつくと「ええやんか、愛されてる証拠やろ。」と、私の方を向かずに彼は喋った。

 

「帰りたくない。」

思わず私はまたその言葉を呟いてしまった。

すると彼は「今日は帰れ。」と言った。

「帰りたくない。」

今度ははっきりと私は言った。

すると彼は「ええから今日ははよ帰れ。」と言った。

思わず「なんで?」と聞き返したら「俺がこの時間まで、わざと人目に付く場所でお前と一緒にいた意味がないから、今日は早く帰れ。今なら『上司と仕事の打合せをしていた』で済むやろ。」と言った。

そうか、だから彼はわざと人目のつかない2人だけが知っているバーから人目に付く24時間営業の喫茶店に移動したんだと、その時にようやくわかった。

 

終電を逃しタクシーで帰宅した私は、車内から彼氏に電話をかけた。

彼氏は、誰とどこで何をしていたのか事細かく聞いてきた。課長と仕事の話をしていたと言うと疑ったような口調だったが、喫茶店だと言うとトーンダウンした。

そして最後に彼氏から、今後は課長と2人で会わないように、と釘を刺された。

その場をやり過ごすために「うん」と言ったけれど、電話を切った後に「うん」と返事したことを後悔した。

そして、タクシーに乗る前に彼から渡された1万円札を、手の中でギュッと握りしめた。結局私は、その1万円を使わずにそっと財布にしまった。

 

再会の後 

翌週の月曜、それ以降も、彼はいつもの通りだった。第3営業課の結束力は日増しに強くなり、他の営業課と肩を並べるほど成績が上がっていった。その一方で、成績が上がれば上がるほど、彼との実力差を感じ、心の距離を感じるようになった。だけど、ふとしたときに彼の姿を目で追っている自分に気付くこともあった。

システム管理部の彼氏と仕事の後にデートすることも度々あったが、あまり記憶にない。仕事の話をした覚えもないし、グルメサイトで評判のいいレストランで食事をしたようにも思うが、味もメニューも覚えていない。彼氏とのデートの回数が以前より多くなったような気がするが、その分束縛されているような気分になった。彼氏から同棲しないかと切り出されたような気もするが、仕事が忙しいからと断ったような気がする。彼氏は「忙しいならなおのこと一緒にいる時間を長くしよう」みたいなことを言っていた気もするが、そのための諸々の準備すら考える余裕がないと断ったと思う。私は、彼氏との付き合いに窮屈さを感じ始めていた。

 

そんなある日、得意先に課長と2人で行くことになった。

思いがけず得意先での時間がかかってしまい、彼が「今日は直帰するか。メシでも食いに行く?」と誘ってきた。私はOKし、心が躍るのを感じた。

ところが、彼が「よし、ここで食うか」と言った場所はファミレス。今までそんな場所で彼と食事したことは一度もなかった。「えっ?ファミレス?」と聞くと「なんで?アカン?」と聞き返してきたので、「今までファミレスでご飯食べたことないじゃん。」と答えると、「そりゃ、また彼氏を心配させたらアカンしやな…」と彼が答えた。

カッとなった私は「彼氏彼氏ってうるさいよ!私が行きたいんだからいいじゃん!結婚してるわけでもないのに、どうしてイチイチうるさく彼氏から言われなきゃいけないわけ!?」と言い返した。

すると彼はクスッと笑って「…それ、俺に言うことか?俺、お前の彼氏かいな。」と言った。

その言葉にハッとした私に気付いたように、彼は続けた。

「…お前、彼氏に言いたいこと言えてるか?お前のワガママを彼氏はちゃんと受け止めて理解してくれてるか?今のお前見てたら、俺が新宿から異動する前のお前に見えて、めっちゃ心配や。」と真面目な顔で言った。

そして、私に近づいた彼は私の真正面に立ち、私の頭をポンポンと撫でながら「大丈夫や、ちゃんと言うて来い。」と言ってくれた。

「ほな、彼氏にちゃんと言えるまで、メシはお預けな。」と言い残し、彼は去っていった。

 

言いたいこと…。

その日は真っ直ぐに家に帰り、テレビもつけず、お酒も飲まずに考えた。

10年前の彼はこう言った。

「まぁ、明日の夜、酒飲まんとお前から仲直りせえ!」

 

翌日の夜。

私はお酒の提供がないオシャレなカフェに彼氏を呼び出した。

 

カフェを出て、私は彼に電話した。

そしてこう言った。

「明日の夜、メシ行きたい。」

 

本当の気持ち 

待ち合わせの場所に、私は彼よりも先に入店した。

遅れて入って来た彼は、店内をキョロキョロしながら「メシってお前…ここ、こないだ俺と一緒に来た喫茶店やで。」と言った。

そう。待ち合わせの場所は、4月のプレミアムフライデーの日に、酔いつぶれた私を、おそらく彼が大変な思いをして連れてきてくれた、歌舞伎町のど真ん中にある24時間営業の喫茶店。

「そうだよ。」と私が答えると、「いや、『そうだよ』ちゃうやん。この店、酒あらへんし、メシ言うてもピラフとかスパゲティしかあらへんで。」と彼は着席しながらやや早口で言った。

「知ってるよ。」と私が答えると、「いや、『知ってるよ』ちゃうやん。知ってるんやったらなんでここなん?」と彼はもっと早口で言った。

「それは、お酒を飲まずに話をしたかったから。」と私は答えた。

すると彼は「えっ」と意外な回答だったような表情を私に見せた。

「…『メシ行きたい』ってお前が俺に言うたんやから、ちゃんと彼氏と話をしたってことやな?」と彼は言った。

私は「うん。」と答えた。

「ほんで?どやった?」と彼が聞いてきた。

「うん。言いたいこと、言えたよ。」と私は答えた。

「…おう。それはつまり…」と彼が言いかけたので、

「彼氏には『私、あなたに言いたいこと言えないの。ワガママ言えないの。だからごめん。あなたとはもう付き合えない。』って言った。」と答えた。

「そうか…」と彼は一瞬伏し目になり、再びまっすぐこちらを見た。

「ほな、俺がお前に言いたいことあるんやけど、ええか?」と聞いてきた。

「何?」と私が聞くと、

「お前から俺に電話かけてきたの、13年の付き合いで昨日が初めてやったな。」と彼は言った。

「えっ!?そうだっけ?」と少し動揺して私が答えると、

「そうや。この13年間、ずっと俺から電話かけてたんやで。気付いてへんかったん?」と彼は答えた。

「そうだったんだ…ごめん…。」と私が答えると、彼は「かまへんけどな」と笑った。

「ほんで?マジでここでメシでええの?」と彼が聞いたので、「ううん、やっぱり出る。」と答え、私たちは喫茶店を出た。

 

「ほな、どこにメシ行く?」と聞いた彼に、

「あのさ、お酒が入る前にもう1つ、今度は村上に言いたいこと言っておく。」と私は言った。

「俺にもあるんかい!」とツッコミを入れた彼に、私は

「10年前、この場所で私が村上の手を引っ張ってホテルに押し掛けたあの日の夜のこと、覚えてる?」と聞いた。

「うん、覚えてんで。」と答えた彼に、

「あの日私は、仕事が嫌だったわけでも当時の彼氏との関係を悩んでいたわけでもなかった。ただ…、村上と離れたくなかったんだ。昨日、ようやく10年越しにそのことに気付いた。」と私は打ち明けた。

すると彼はニコッと笑って、右腕で私の肩をギュッと彼に引き寄せ、あの日の夜のように、彼の細く長いしなやかな指で私の頭を撫でつつ、彼の右肩の上に私の頭をポンと乗せてくれた。

 

村上信五恋愛ドラマの私的ポイント

①普段村上さんが使っている関西弁を、できるだけ使う。

②村上さんはスタイルがいいため、ベッドシーンが結構似合うと思う。

③ただし、直接的なものでなく、村上さんの萌えポイントである指をクローズアップしてそのシーンを表現してほしい。

④仕事のできる男であることは必須条件。

⑤したがって、スーツ姿が主となる。

⑥相手役の主人公(私)のイメージは、勝手に香里奈さんに設定したので、私の中でモデル体型の2人の恋愛ドラマがイメージされている。

⑦役名を必死に考えたが、思いつかなかった。したがって、役名も村上信五になっているが、あくまでドラマ内の役柄である。 

 

 

今日のしゃべくり007はバラエティ番組の番宣のための出演だと思うのですが、いつかはこんな恋愛ドラマ主演の番宣のために各番組を行脚する村上さんを見てみたいです。

お目汚し失礼いたしましたm(__)m

6年前の3月11日

わたくしごと ANN大倉くんと高橋くん

6年前の昨日、発生した東日本大震災

本当は昨日記事を書き上げていたのですが、ダラダラとわたくしごとを書き連ねるのはどうなのかな、と思い直し、記事をアップしませんでした。

ですが、昨夜の『大倉くんと高橋くん』を聴き、大倉さん・高橋優さんの言葉一つひとつであの日を思い出し、やはり記事をアップすることにしました。

 

被災地の被害、被災者の方々が失ったものや心の傷と比べれば、私が経験した東日本大震災など比べる対象にもなりえず、ブログの主旨とも全く関係ありませんが、少しでもご興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。

当時の私の状況

東日本大震災が発生する10日前の2011年3月1日。

私は再就職し、全く馴染みのない場所で働き始めました。

私が東京に移り住んでから9か月後のことです。

 

昨年「保育園落ちた 日本死ね」という言葉が話題に上りましたが、

私が再就職した時も状況は全く同じでした。

認可保育所の締め切りはとっくに過ぎ、近辺の認証保育所を片っ端から10件以上電話しましたが定員の空きはなく、無認可保育所すら同じ状況でした。

やっと見つけた無認可保育所は、山手線を乗り、さらに駅から徒歩10分、月額保育料10万円の新設保育所でした。

その時娘は1歳半。

訳の分からぬままいきなり見知らぬ集団の中で日中のほとんどの時間を過ごすこととなった娘は、迎えに行けば泣きすぎて声が枯れる日々が続いていました。

 

私は私で、東京に移住後、乳児を連れて行ける場所が限られていたので、東京に住んでいても地理をほとんど把握していない状況での再就職でした。

縁もゆかりもなく、右も左もわからない場所で働き始めた10日後に東日本大震災は起こりました。

 

地震直後

私はバブル期に建てられた、1フロアーに1つの会社しか入らないような小さなビルの7階で働いていました。

地震の揺れはすさまじく、あらゆるものが棚から落ち、高さ1メートル横幅1.5メートルほどの受付台は倒れて完全に壊れました。

私は阪神淡路大震災を経験していましたが、そのときよりも大きく長く激しい揺れでした。

 

東日本大震災が起きた当日に最も困ったこと、それは電話が繋がらなかったことでした。

まず娘の保育所に電話しようとしても、携帯電話は全く使えず、会社の電話で何度もかけ、ようやく無事であることとこれから建物の外に避難することを知らされました。

その頃には、あの津波が押し寄せて街を呑み込んでいく様子がテレビで放送され、そこでようやくこれまで経験したことのない甚大な地震が現実に起きたことを実感しました。

そしてまもなく、首都圏のJR・私鉄・地下鉄といった鉄道各社が完全にストップし、復旧のメドが全く立っていないことを知りました。

 

私はすぐさま夫の携帯電話にかけ続け、数十回のコールを経てようやく夫に繋がりました。

ところが、夫から返ってきた言葉は、

「まぁ、夕方には復旧してるんじゃない?」

という軽いノリの返事でした。

そんなわけないと何度説明しても無駄だったので、電話を切り、私が何としてでも娘を迎えに行かなければならないと腹を括りました。

後日談ですが、夫が軽いノリで返事したのにはそれ相応の理由がありました。

夫の職場は超のつく免震ビルだったため、東日本大震災でのあの激しい揺れでも、デスクの上にあったティッシュ箱が落ちた程度の揺れしか感じていなかったのです(ただし、船に乗っているような長い揺れは相当長く続いたそうです)。

 

娘を迎えに行くまでの長い道のり

そして、すぐに荷物をまとめて職場を出たら、バスターミナルにものすごい数の人が溢れていました。

私にとって見知らぬ土地だったので、どこ行きのバスに乗っていいのかすらわかりませんでしたが、何となくの感覚で、今いる場所と娘の保育所の中間地点にあたる場所方面行のバスがあり、幸いその停留所には列がなくすぐに乗れたので、それに飛び乗りました。

そのバスに乗って終点地の駅に着くころに鉄道が復旧していることを望みましたが、やはり完全にストップしていました。親切な駅員さんが、この先1.5㎞の場所にバスの車庫があるので、そこまで歩いてみてはどうかと提案されました。このときには既に日が暮れかかり、段々と暗くなる初めて通る道に不安を抱えつつ歩き進めました。

1.5㎞を歩いてその車庫に着くと、そこから娘の保育所の最寄り駅の隣駅行きのバスがあることを知り、またそれに飛び乗りました。

最初は順調に進んでいたバスは、いつしかスピードが遅くなり、明らかに渋滞にはまっているのに気付きました。今度はバスが動かなくなってしまったのです。

ですが、全く分からない場所で降りても、そこから娘の保育所にどうやって行けばいいのかわからなければ意味がないと思い、とにかく聞いたことのある地名が出てくるまで待つことにしました。

そして、聞いたことのある地名が出て、運転手さんも「この先いつ辿り着くかわかりません」とのアナウンスがあったので、思い切って下車し、すぐにコンビニを見つけ、地図を買い、店員さんに現在地と娘の保育所の場所を教えてもらったところ、ここからまだ4㎞ほどあるとの回答でした。

そのとき既に午後7時30分になっていました。

娘の保育所は最大午後8時までしか預かってもらえません。

慣れないヒールを履いた私は覚悟を決め、4㎞先を目指してひたすら走り続けました。娘の保育所近くに目印となる高層ビルがありましたが、走っても走っても全然近づかない。でも時間は刻々と過ぎていく。本当にこの道で大丈夫なのだろうか…と不安を抱えつつ走り続け、私は完全に息が上がった状態で娘の保育所に到着しました。時間は午後8時ジャストでした。

 

保育所はゴールではなかった

この日は金曜日で娘は乳児だったので、保育所から渡された大きなバッグの中には、使用済バスタオル3枚、使用済着替え5セット、使用済オムツ10個以上がぎっしりと詰まっていました。私は娘の保育所かばんを右肩に、自分の通勤バッグを左肩に、抱っこひもで娘を前に抱っこという、1.5㎞の徒歩+4㎞のダッシュで疲労困憊した体に、荷物+娘で軽く10㎏以上はある重しをさらに装着して、保育所の最寄駅からバスで帰ろうとしました。

 

バスを待つ間、私は夫に娘をピックアップした旨をメールし、ふと顔を上げると、メールを打つ前に目の前にいた車が1㎜たりとも動いていないことに気付きました。そして辺りを見回すと、路上にあるどの車も全く動いていないことに気付き、ここで私は、重い荷物と1歳半の娘を抱っこしつつ、ここからさらに1時間以上歩いて帰らなければならない事実を悟りました。

 

東京は坂が多く、見た目以上にアップダウンがあります。

私は、またも先ほどコンビニで買った地図を頼りに自宅への道のりをひたすら歩き続けました。途中、娘がひどく泣き出せばおんぶにし、肩がつらくなれば抱っこに戻し…を繰り返しつつ。

結局自宅に到着したのは、午後9時30分。

私が職場を出てから5時間後のことでした。

 

3.11の後の状況

東日本大震災が発生した後、東京からしばらくネオンが消えました。

福島第一原発が水蒸気爆発を起こした日の電車は、すし詰めという言葉どころではない、おそらく乗車率300%以上のひどい有様で、車内には怒号が飛び交っていました。

スーパーから食料品、とりわけミネラルウォーターと生鮮食品、ベビーフードがなくなり、紙おむつも長らく品切れが続きました。

大人はまだしも、まだ離乳食が完了していなかった娘の食事をどうしたらいいのか、日々の紙おむつはどうしたらいいのか、途方にくれました。

本当に本当に困って、初めて自分から双方の実家にそれらの物を送ってほしいと頭を下げました。

あの日のこと、あの時期のことを思い出そうとしても、あの孤独で慌ただしく時時刻刻と変わる状況をどう切り抜けたのか、詳細はあまり思い出せません。ただ、間違いなく日々を生きるのに精いっぱいでした。

 

当時のことを振り返り、私がとった行動は全く正しいとは言えず、余震や火災などの二次災害を考えるととても危険な行動だったと思いますが、あの時の私には娘を迎えに行くことだけしか考えられませんでした

東日本大震災は、私が東京で生きていくうえでのたくさんの課題を突き付けた、大きな出来事で、私はこれからも、3月11日になればこの日のことを思い出すし、おそらく一生忘れられない体験なのでしょう。

一方で、昨夜『大倉くんと高橋くん』で大倉さんが言ったように、忘れるくらい楽しい瞬間も大切にしたいと思います。

阪神淡路大震災東日本大震災を体験し、関西に帰る選択肢を選ばずに東京に留まることを選んだ。

そんな関ジャニ∞に、もしかしたら私は同士のような感情さえ抱いているのかもしれないと、昨夜の『大倉くんと高橋くん』を聴きながら思いました。

初めてのイフオア(If or…Ⅸ)※一部若干のネタバレあり

関ジャニ∞村上さん 関ジャニ∞の曲 わたくしごと

この数週間、心身を著しく消耗する対応に追われていました。

人とお酒を呑みながら話す機会も多くありました。

だけど、私にとって一番効果のあった気持ちの切り替え方法は関ジャニ∞でした。

 

前々回のブログで書いたように、

五里霧中のときは『無責任ヒーロー』の

なるようになるって!

で力づけられました。

 

くじけそうになったときは『なぐりガキBEAT』の

言い訳と弱音をやめたら あとはドアを開けるだけ

に励まされました。

 

決戦を迎える前は『NOROSHI』の

保身 白い旗(フラッグ) 溢れる”仕方ない”

何が分かったと言うの?

他人(ひと)を笑う他人(ひと) 見え隠れコンプレックス

「君に何が守れるのかね?」

 

NOROSHI 眠れる獅子を起こせ 生き様は己の心一つ

両手に止まない風受けて 正夢の背中を追いかけろ

全身全霊 前進、誇り高く(踊れ踊れ 唄え唄え)

行くべき”未来”は そう、君の踏み出す”今”が拓く

 に背中を押されました。

 

彼らの音楽・声を耳から感じる。

それを自分が欲したとき、欲するままに摂取して、想像以上の力をもらえました。

完全に私の妄想ですけど、

大仕事を終えて彼らの歌を聴くと、

彼らが背中で手を添えてくれているよう感じたときがありました。

ある時は、横に立って肩をポンと叩いてくれたように感じたこともありました。

 

そして今日。

東京グローブ座で現在上演中の『If or…Ⅸ』昼公演にお邪魔させていただきました。

私にとって人生初のイフオアです。

 

※ここから先、一部ネタバレを含みますので、内容を知りたくない方はまたの機会にお読みいただけると嬉しいです※

 

最近は、他のブロガーさんの記事やツイッターを読むと気持ちが満たされ、記事を書き上げられないほど疲れ切った日々が続いていました。

正直なところ、イフオアのこともしばらく頭から抜けていたほどで、今週に入り手帳を確認して「あっ!」と思い出したほどでした。

そんな状態だったので、慌てて昨日今年初の美容院に行き、美容院に行くために化粧をしようとしたら、ファンデーションが全くないことに気づいて今朝慌てて買いに行き…と、女性としてひどい有様でした。

でも、昨日美容院に行ったら急に実感が湧いてきて、昨夜1時間以上もかけてネイルを塗り、ラインストーン*1まで施してしまいました(苦笑)まるでデートにでも行くかのように。そう、私にとってはデートに近い気持ちだったかもしれません(そのような気持ちになったのがあまりに遠い昔すぎて思い出せない自分が悲しい…)。

 

そんな風に朝からバタバタしていたので、東京グローブ座に到着したのは上演10分前。大急ぎでパンフレットを買い、トイレを済ませ、着席してまもなく舞台が始まりました。

 

しばらく放置するとLINEのメッセージが50件以上になっていた、このところの生活から離れ、スマホの電源を切り通信を遮断した1時間半余り。

たくさんたくさん笑わせていただきました。

途中「日々疲れている皆さんへ」との前書きで始まるコーナーが何回かあり、会場は爆笑に包まれていました。

だけど、いつも以上にメンタルがおかしくなっていた私は、その文字を見ただけで涙が溢れてきて、慌ててカバンからハンカチを取り出しました。そんな感情であの文字を、コーナーを見ていた人はごくわずかだと思いますが(苦笑)、やっぱり私は、関ジャニ∞の歌を聴いた時に背中や肩に感じた彼らからの応援と同じような、村上さんの優しさに触れた気がしました。

 

舞台が終わりグローブ座を出ると、外は眩しく空は一面青空でした。

そして、私の体と心にのしかかっていた重たいものは、いつの間にかグローブ座に置いてきてしまっていました。

それはきっと、たくさん笑って、時には涙し、好きな人を見て、すっかり癒されてしまったからなのだと思います。

 

実のところ、明後日くらいまで厄介なことは続くのですが、

全国のたくさんのeighterさんが村上担さんが、観たくても観られなかったイフオアを観られたのだから、これぞまさに私への最大のご褒美だし、厄介ごとも

なるようになるって!

と思えました。 

 

しゃべくり007のスタッフは一部夜ふかしのスタッフと被っているので、夜ふかし的なイジりがある可能性は高いけれど、

それでも、明日と明後日の厄介ごとを乗り越えれば、来週月曜の『深イイ』と『しゃべくり007』で横山さんと村上さんを観られる日が来るんだと、それを楽しみにこの2日間を乗り越えようと思います。

 

私のブログをメンバーや関係者が見ているはずもないのですが、

もし1つだけ何か伝えられるとしたら、

「いつも支えてくれてありがとう」

と伝えたいです。

そして、様々な苦悩や葛藤、精神的・身体的なつらさを抱えながら9年目のイフオアを続ける村上さんにも、イフオアで元気づけられている人が村上さんが思っている以上にたくさんたくさんいるということも伝わってほしいな、と思います。

 

*1:と言っても100円ショップのシール状のもの

2/26関ジャム完全燃SHOW(ゲスト:堂本光一)

関ジャム完全燃SHOW KinKi Kids

2017年2月26日午後11時15分。

その数分前から私はテレビの前にスタンバイしていました。

今回のゲストは、堂本光一

堂本光一が、事務所の後輩である関ジャニ∞の音楽バラエティ番組『関ジャム』で、彼の人生の、およそ半分の年数を捧げている『SHOCK』について話をする。

そう思うと午後11時頃から既に緊張していました。

 

2017年2月26日午後11時15分。

番組の予告が流れて、私は少し複雑な気持ちになりました。

かつて同じ曜日と時刻で始まっていた音楽バラエティ番組・堂本兄弟が、私の中で本当の意味で終わった瞬間だったからです。

ですが番組を観終えた後、改めて関ジャムという番組が好きになりました。

 

独特の緊張感

今回の関ジャムは、いつもとは違う空気が流れていたように私には感じられました。

横山さんと村上さんがJr.として初めて立った舞台がKinKi Kidsのコンサート。

公演の一番最後の場面で村上さんがローラーブレードで旗を振りながらもう1周回ってしまい、主役のKinKi Kidsがハケた後も1人舞台に残ってしまうという失態を演じた話は、eighterさんの間では有名です。

当時のKinKi Kidsは、まだデビューしていないJr.にもかかわらず、グループ単独でコンサートを開催するほどの人気を誇っていました。ですから、関ジャニ∞のメンバーが入所したとき、ジャニーズJr.のトップにいたのがKinKi Kidsだったといえるでしょう。

つまり、KinKi Kids関ジャニ∞にとって、いつまでも緊張する存在なのかもしれません。

 

様々な裏側を知ることができた今回の関ジャム 

今回の関ジャムほどジャニーズの舞台、とりわけ『SHOCK』にスポットを当てた番組は、これまでなかったのではないでしょうか。

 

昨年の『SHOCK』は中学時代からの友人と観ました。

私がKinKi Kidsを知り、キャーキャー言っていた時期を共に過ごした友人です。

その友人が、上演中の休憩時間につぶやいた言葉があります。

「帝劇って…まるでSHOCKのためにあるような舞台…。すごい一体感…。」

もちろん帝劇では『SHOCK』以外の他の舞台もやっていますが、その一体感は私も同じように感じ、驚かされていました。

その感覚の答えのヒントを、私は今回の関ジャムで得たような気がします。

 

手動ワイヤーで何度も繰り返されるリハーサル、

微妙な角度の演技指導、

オーケストラ演奏についての修正指示、

まさに前人未到の、2階席に立つための方法を物理的に考える理系脳。

そういったいくつもの細かい修正を、何度も何度も17年間の間で繰り返し重ね、その結晶を私たちは観ている。

一朝一夕でない、17年間の血と涙と汗を、今回の関ジャムで少しだけ感じることができました。

 

堂本光一は自分に対しても一切の妥協を許さない男 

関ジャムでは語られませんでしたが、

光一さんは、舞台中の期間、生ものとアルコールを決して口にしません。

それらが嫌いなわけではなく、公演以外の時期では『ブンブブーン』のロケでそれらを摂取することも度々あります。ですが、公演期間中は、たとえ『ブンブブーン』のロケであったとしても絶対に口にすることはありません。

光一さんがそれらを口にしない理由は「万が一、食あたりにでもなったら公演に穴を空けることになるから」です。

昨年は20周年突入イヤーだったからか帝劇のみの公演でしたが、ここ数年『SHOCK』は2~3月と9~10月、つまり1年のうちで4か月間上演されています。

つまり、光一さんは、1年のうち3分の1は、好きなものを好きなように口にすることはない生活を送っています。

 

ですから、今回の関ジャムで「3か月間は地獄だった」と言ったのは、1週間に1日程度の休み以外ずっと本番に臨み、体力や体調を維持することが大変というだけでなく、舞台のための『我慢』が続くという意味も込められているのだと私は勝手に感じました。

 

ほどよい緊張感と温かさの入り混じったジャムセッション

今回披露された『Slave Maker』は、昨年から今年初めまで行われたKinKi Kidsのツアーでもセットリストに入っていました。

私はコンサート会場で、息を吸うのも忘れダンスとその世界観に釘付けになっていました。

今回の関ジャムでも息の吸うのを忘れたのは同じですが、関ジャムでは私は耳と目をどこへ向けたらいいのかだんだんよくわからなくなり、結局4回セッションを見直すこととなりました。 

 

今回は、光一さんは踊らない分、歌に集中することができたように見えましたし、光一さんの歌を存分に楽しめたのはとても良かったです。

また、ダンス曲をバンドセッションにすることで、私が12月下旬にこの目で見て聴いたものとは違った、『Slave Maker』の魅力を味わうことができたのも良かったです。

 

そして、セッション後には、顔の横で小さく手を振りスタジオを後にする光一さん。

関ジャニ∞の仲の良さを普段見ている方から見ると、そんな光一さんは不愛想に見えたかもしれません。

 

だけど、光一さんは知っているのです。

自分たちの楽曲ではない他の人の楽曲を、隔週で練習して習得し、本番に臨まなければならない大変さを。

そして、そこに妥協を許さなければ、自分たちの音楽をさらに深く高く、幅広く成長させるということも。

小さく手を振った光一さんは、そんな成長途上にある関ジャニ∞にエールを送っているように私には見えました。

 

Show must go on.

関ジャムの中で、滝沢演舞城での舞台装置のボヤの話がありました。

『SHOCK』も2年前にセットが倒れて負傷者が出た事故がありました。

 

横山さんが語った、ジャニーさんの話。

これは私の勝手な想像でしかありませんが、

おそらく光一さんも2年前、同じ気持ちで同じ決断をしたのではないでしょうか。

 

そして、昨年の『関ジャニ∞の元気が出るLIVE』オーラス。

これも私の勝手な想像でしかないけれど、

関ジャニ∞もまた、同じ気持ちで同じ決断をしたのではないでしょうか。

 

Show must go on.

ジャニーさんの思いは、脈々と受け継がれていっている。

そういう瞬間を見たような気がして、私は心が震えました。

 

『SHOCK』に興味を持った方へ

上述の中学来の友人は、観劇後に次のように言いました。

KinKi Kidsというグループでは見られない、光一そのものの魅力を味わえるのが『SHOCK』だね。」

 

今回の関ジャムを観て興味を持った方にぜひお伝えしたい。

『SHOCK』、すごいですよ。

どの席でも楽しめますよ。

お時間があれば、ぜひ足を運んでみてください。

ありがたいことに、今年も観劇させていただきます。

楽しみです。

『無責任ヒーロー』に涙し、励まされている話

関ジャニ∞の曲

ここのところ、記事を全然更新できませんでした。

いろいろと災いごとに巻き込まれて忙殺されており、他の記事もいくつか書いてみたりしたのですが、全然完成させられず…

 

そんな気分の乗らない時こそ関ジャニ∞でしょ!と思い、どんな曲がいいかな~と思っていたら、ふと『無責任ヒーロー』が思いついたんですね。

それで久々に聴いてみたら、思いがけず泣いてしまいました。

 

特に1番の歌詞。

あ~分かっちゃないけど 大変なんでしょ?

 

みんながみんな 不安を抱えてうつむいてるぜ

 

笑っておくれよ なるようになるさ

 

「なるようになるって!」

これまで『無責任ヒーロー』というと盛り上げソングというイメージで、テレビで聴くと「またか~」みたいに思っていた自分を恥じます。

こんなに明るくこちらの気持ちを「分かってるよ」とさらりと言ってくれて、「なるようになる!」と横に立って応援してくれる曲だと全然気づいていませんでした。

 

最後に

「明日からもガンバレ~!」

と言ってくれて、頑張れそうな気がします。

うん。頑張ります!

 

やっぱり関ジャニ∞、最高!!

『プレミアムフライデー ナビゲーター就任イベント』にみる関ジャニ∞の対応力

関ジャニ∞ 関ジャニ∞大倉さん 関ジャニ∞丸山さん 私の勝手な考察

経済産業省が推進し、本日から開始された『プレミアムフライデー』のナビゲーターに関ジャニ∞が就任しました。

皆さんご存知かと思いますが、詳しくは下記公式HPをどうぞ(動画は是非こちらの公式HPからご覧ください。)↓

premium-friday.go.jp

これに先立ち、経済産業大臣プレミアムフライデー推進協議会/日本経済団体連合会副会長とともに、関ジャニ∞がナビゲーター就任イベントに登場しました。

ネットニュースや各テレビ局で目にした方がほとんどだと思うのでそれらの内容は割愛し、今回はそれらメディア媒体を見て私が感じた関ジャニ∞の対応力を中心について書こうと思います。

その1・大倉忠義のコメント力

残念なことにテレビではあまり取り上げられてなかったように思いますが、こちらの記事を読みました↓

news.mynavi.jp

この記事の中の、

大倉忠義は「月末の金曜ってすごく忙しくて、仕事を切り上げるのが難しいイメージがある」と語り、特に「僕たちも含めて、サービス業はどうすればいいでしょうか?」と質問した。

という部分が印象的でした。 

 

ちょっと穿った見方ですが、このイベントを取り仕切る団体の1つである日本経団連が大々的に企画している『プレミアムフライデー』に、会長でなく副会長、しかも十数名いる副会長の中で、土日祝日が休業でない三越伊勢丹ホールディングス代表取締役会長でもある石塚氏がわざわざ登壇しているということ自体、この質問に答えることありきのような気がしてなりませんが、

仮にそうだとしても、大倉さんの、

「月末の金曜ってすごく忙しくて、仕事を切り上げるのが難しいイメージがある」

と特異な働き方をしている自分を認めたうえで、

 「僕たちも含めて、サービス業はどうすればいいでしょうか?」

と『サービス業』という大枠のカテゴリーに自分たちを入れ、当事者の立場から質問したのが上手いなと思いました。こういう質問は、普段から階段式に物事を考え、最後の質問に向かって順序立てて説明するクセをつけないとできないので、おそらく大倉さんは普段からこういう思考回路をしていて、ここが他のメンバーが言う「違う視点」なのでしょうね。

しかも、ずっとサービス業を経営してきた父の姿を見て育った大倉さんなので、この質問にすごく説得力がありました。

 

その2・丸山隆平の対応力

各テレビ局がこのイベントの模様を放送しましたが、そのほとんどは突然丸山さんを襲ったアノ話題ばかりでした。

100%何の非もないのに、台詞を再度覚え直し、リハーサルし、せっかく撮影したシーンを撮り直すという、想像以上に余計な時間を費やすことを強いられている立場の1人が丸山さんです。私なら怒りに狂います。

それでも丸山さんは、「撮影は順調ですか?」と分かり切った質問をするワイドショーの記者を前にして、

「(撮影は)順調です。」

とにこやかに答え、

「心配されてますが…」と、明らかに「アナタは心配してないでしょ!」というワイドショーの記者の質問に対しては、テレビカメラがいる正面に自分の体を向き直し、お辞儀をしながら、

「ご心配いただきありがとうございます。」

と答えました。

120点の回答だな、と丸山さんを改めて尊敬するとともに、ワイドショーの記者に辟易する感情が先に立った自分を反省しました。

この回答って誰もが簡単に言える言葉じゃないと思うんです。

「ご心配をおかけしてすみません。」ではまるで丸山さんが迷惑を掛けたみたいになるし、「心配ですか?へぇ~」は論外だし、「心配していただくほどではないですよ」も明らかに違う。おそらく絶対に現場は大混乱なはずですから。

 

丸山さんの「ありがとうございます」は、テレビの前にいる、eighterさんを含めた全ての人を安心させ、渦中の途中降板女優を傷つけず、『泥棒役者』に関わる全ての人が報われる最高の言葉とお辞儀でした。この一言だけで、丸山さんの人柄や仕事に対する姿勢など全てを表しているように私は感じました。

 

その3・関ジャニ∞の対応力

この日丸山さんにデリケートな質問が来ることは、もちろんメンバー全員が承知してインタビューに臨んでいたことと想像します。

 

まず、インタビューでデリケートな質問に触れる前から、横山さんが丸山さんの横で(ダジャレではない)「コイツいいヤツなんっスよ~」と言い続けていました。

 

そして、おそらく丸山さんは「主役としてしっかり伝えなければ…!」と気負っていたので、指の動きにまで意識が及ばずに「泥棒役者、観に来てください!!」と言ってしまったのでしょうが、ここですかさず村上さんが「ゲッツやん!」とツッコミを入れ、瞬時にその他5人が「ゲッツ」とガヤのように言い続けたことで、結果的にたくさんテレビで使われる場面になりました。

これはよく『関ジャニ∞の団体芸』と言われ、私もそう思いますが、団体芸という言葉を超えた愛情すら感じます。

この模様が放送された「PON!」で、丸山さんの師匠でもあるますだおかだの岡田さんが「丸ちゃんは最近オレよりも派手にスベっていて、先を行っている。」というニュアンスの話をしていました。

派手にスベることを恐れずにやりたいことをできるのは、丸山さんが他のメンバーを信頼して全力投球し、それでスベったとしても他のメンバーが手を差し伸べて丸山さんを立たせる力量と優しさがあるからなんだろうと思います。

 

最後に『プレミアムフライデー』に対し私が感じたこと

私が小学生のときは、毎週土曜午前に授業がありました。

銀行の窓口は開いていたし、世のお父さんのほとんどが土曜日も働き、週に1日しか休みがありませんでした。

www.sankei.com

上記記事のとおり、現在多くの労働者が恩恵を受けている週休二日制を日本で最初に採用したのは、松下電器だと言われています。創業者の松下幸之助氏が制度を導入したのは昭和40年4月。前回の東京五輪の翌年で、今からちょうど50年前、半世紀前のことです。

この記事にあるように、官公庁が週休二日制を導入したのは平成4年、松下電器が初めて導入してから27年後で、国を動かすのに実に四半世紀を費やしたことになります。

官公庁が導入してから10年後の平成14年に公立学校でも毎週週休二日制が導入されました。そして、公立学校の毎週週休二日制導入から今年で15年を迎えます。

 

週休二日制が導入されたとき「土曜日に銀行を開けないのは何事だ」「店の売上や両替はどうしたらいいのか」「労働力が落ちて日本の国力が落ちる」など、今回のプレミアムフライデーと非常によく似た批判がありました。

ですが、今はどうでしょう。

当時のお父さんのような働き方をすれば「ブラック企業」と批判を受けるでしょう。

「銀行の窓口が土曜日に閉まっている!」と毎週怒っている人がいるでしょうか。

私が住んでいる自治体の小学校では月1回程度土曜授業が実施され保護者の参観が許されていますが、お父さんの参観は今や珍しいことでも何でもありません。

 

つまり、 上記の松下電器のように、一企業の努力だけでは社会全体を動かすことはとても難しく、国、日本経団連といった影響力のある団体が先頭に立って音頭を取らないと社会を変えられないこともあります。その典型例が週休二日制です。

ですから、プレミアムフライデーに対して「うちには関係ない」「高給取りに金を使わせるためのもの」「3時に上がったために他の曜日に皺寄せがいったら意味がない」という不満の意見は、かつて週休二日制に異を唱えた人と同様に、この制度を広めてほしくない・広められると困ると思っている経営者を結果的に擁護してしまっているのです。

かえって「いいなぁ」「うちにも導入してほしいなぁ」「導入してもらうにはどうしたらいいのかなぁ」という意見の方が、はるかに経営者を脅かし、ひいては自分たちの働き方を変える方向に、ほんの少しずつですが変えていきます。それは、週休二日制が日本社会に根付くのに多くの時間を費やしたように亀のペースでしか進まないかもしれませんが、確実に社会を動かすことになるはずです。

 

そして、プレミアムフライデーの主目的は消費喚起ですが、10年後あるいはもう少し先には、午後3時に退社した親御さんと、学校から帰宅した子どもが待ち合わせし、近場の遊園地や博物館に出かける余暇が生まれるかもしれません。

週休二日制が根付いた時間を考えると、現在は独身の方・学生などの若い方こそが、その方達が子育て世代になったときにどのような働き方や社会になっているかという問題と直結する、大事な制度であるといえます。

今日現在の実施予定企業は3%未満で、我が夫も残り97%の企業で働く一従業員ですが、実施企業の数字が回を重ねるごとに右肩上がりになることを願っています。