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なーママふわ∞ポム日記

~関ジャニ∞を中心に、時折KinKi Kidsや嵐のことをふわふわと綴るブログ~

友人との会話で気づいたこと・その2(横山さんのこと)

前回の記事で、友人との会話から錦戸さんのことで発見したことを書きました。 

na-mother.hatenablog.com

この中で、友人からもう1つ、私にとって印象に残った一言がありました。

それは、

「今の私の関ジャニ∞のイケメン枠はヨコ。

という言葉です。

友人の理由

友人曰く、

「最近のヨコ、めっちゃいい。この番組(関ジャム)もええけど、ヒルナンデスは最高。私の癒し。」

と言いました。

ヒルナンデスなら他の曜日でHey!Say!JUMPのメンバーも出てるし、ヨコと一緒にジャニーズWESTのメンバーも出てるよ?と私が言ったところ、

「知ってる知ってる。けど、私ら世代にはやっぱりヨコやわ。」

と返答しました。

横山さんはヒルナンデスでマストな存在

これも一視聴者にすぎない友人の、全く個人的な意見です。

しかし、私は自分がヒルナンデスでの横山さんを軽く見ていたことを反省しました。

昨年の村上さん卒業があったので今年の改編期をドキドキしながら迎えていましたが、少なくとも、私や友人などの「一部のアラフォー主婦の癒し」として、横山さんはしっかりその存在を確立していたのです。

私の心配は全くの杞憂でした。

だけどそれは未来永劫ではない

木曜の昼と夜になるとネガティブなワードが目に入りますが、私は昼も夜も楽しんでいます。

それは、私が昔をリアルタイムで見聞きしていなかったという理由が大きいと思います。

それとは別に、もう1つ理由があります。

それは、先輩と後輩が一緒に仕事をしている今が、おそらくそう長くは続かないと悲観しているからです。

 

かつてTOKIOKinKi Kidsは一緒に番組をしていました*1。同級生のようなKinKi Kidsと長瀬くん、KinKi Kidsを可愛がるTOKIOTOKIOに甘えるKinKi Kidsを観るのはとても楽しく、私は1回も欠かさず観ていました。

そんな私の楽しみだった番組は、半年で終了しました。その後、TOKIOKinKi Kidsは、それぞれの冠番組や個人の主演ドラマで忙しくなったためか、共演する機会は激減しました。

関ジャニ∞ジャニーズWESTもいずれはそうなっていくのかもしれないと私は思っています。

 

ですから、中間さんと桐山さんに先輩ヅラするヨコヒナ、あるいは先輩達に翻弄される中間さんや桐山さんを観たり聴いたりできる今は、後に貴重なものになっていくのかもしれず、記憶に留めておきたいな、という気持ちです。

楽しんだモン勝ちに決まってんだ

私のこのような考えは、長らく好きな時間を持てなかった反動だろうと思います。

 

私は、出産から娘が年長に上がるまでの約5年半、自分の好きなテレビをリアルタイムで観る時間が持てませんでした。美容院は年に2回しか行けなかったし、終業後娘を園に迎えに行った後、娘を病院に連れて行く日々が1年半続きました。子どもの病原菌は強力で、度々それにやられましたが、頼める人がいなかったので、40度の熱が出ながら子どもを園まで迎えに行ったり、医師から入院を勧められても頼み込んで自宅療養にしてもらっていました。娘にとってのアイドルはだいすけおにいさん*2とたくみおねえさん*3、そしてプリキュア*4。ごく近所でジャニーズアイドルがロケをしていても関心を向ける気力すら湧かず、セブンイレブンで大々的にイメージキャラクターを務める彼らを横目に見ながら、彼らのデビュー8周年を知ったことも覚えています。

今の時代、観たいテレビは録画できるので、いつでも観ようと思えば観られます。ですが、とにかく時間と気力がありませんでした。この頃流行っていたものは、子どもが関心を持ちそうなこと以外は今でもほとんど知りません。

 

残念ながら、特に女性の場合、自分のやりたいことができなくなる時期が来る方が多いです(但し、私のそれは長すぎた)。それは子育てかもしれないし、身内の介護や自分自身の体調不良かもしれません。もちろん、これはご主人や家族のサポートによるところが大きいので、全ての方がそうではありませんし、相手を見極める眼力が必要です(そういう意味で私は眼力がなかった)

 

アイドルを応援していると時に「なんで!?」と思ったり、悲しい情報に接したりすることがあると思いますが、

だけどリアルタイムに一喜一憂できること自体がとても幸せなことなんだと、今の私は思います。

意味は無ぇ 意味は無ぇ 意味は無ぇが

今がイイ 今がイイ 今を生きんだ

くだらねぇ くだらなくても良いんだ

楽しんだモン勝ちに決まってんだ

 

知っているのさ

最後があるのは

だからその前に壊れとけ!さあ!

これは関ジャニ∞の『FUN FUN FUN FUN FUN FUN FUN FUN』で、時々私の頭の中をぐるぐる回る曲です。*5

この曲のように、一喜一憂できる今という時間を、時には何も考えずに思いっきり楽しんでみるのもアリかもしれません。

最後に、門前で癒されよう

先日、用があって渋谷に行ったついでにBunkamuraの下見に行きました。ジレッタのポスターが貼ってあったので写真を撮りましたが、光が入ってキレイに写らなかったので、リンクを貼ります。

友人に私が撮った写真を送ったら「ヨコ~♡♡♡」という返事でした。

よろしければ皆さんもこちらの横山さんを眺めながら癒されてください。

(顔もさることながら、指も美しい…惚)

www.bunkamura.co.jp

*1:Toki-kin急行 好きだよ!好きやねん

*2:Eテレおかあさんといっしょ』のうたのおにいさん。今年3月で卒業

*3:Eテレおかあさんといっしょ』のうたのおねえさん。昨年3月で卒業。

*4:但し、娘のおかげでプリキュア全シリーズを観てキャラクターを覚えるというオタク力も発揮された。

*5:楽曲制作者はRIP SLYME。彼らの曲をそれほど知っているわけではありませんが、一度聴くと頭からなかなか離れない曲が多いな、と思う。『雑念エンタテインメント』もそうだし、最近では『スポンジ・ボブのテーマ』が頭の中をグルグルすることが多い。

友人との会話で気づいたこと・その1(錦戸さんのこと)

先日、半年ぶりに帰省しました。

その際中学来の友人と会い、私の中でいくつか気づいたことがあったので、今日はその中の1つを書きます。

友人は私のイケメン師匠 

友人は昔から顔の整った男性が好きでした。

ジャニーズで言うと、SMAPなら吾郎ちゃん、TOKIOなら長瀬くんと松岡くん、KinKi Kidsなら光一さんで、Jr.黄金期はタッキーが好きと言っており、当時から男前やイケメンを見出す能力ゼロだった私から見ると、友人は正統派の男前やイケメンが好きなんだろうなぁと思っていました。

私は、男前やイケメンに関するアンテナがしっかりしていたこの友人から、その時代ごとの男前やイケメンの情報を教えてもらっていたようなものでした。

関ジャニ∞がデビューする前後から、私はこの友人から「錦戸くんがカッコいい」と聞かされ、1リットルの涙ラスト・フレンズが放送されているときは彼女から情報を仕入れていたようなものでした。

そんな友人と関ジャムを観た

今回この友人宅に泊まらせてもらい、一緒に関ジャムを観ました。

「これってこないだピコ太郎のやってたやつ?あれ面白かったわ~。他のも何回か観たことあるで。」

と言っていました。

友人と一緒に観たのはPerfume回だったのですが、一緒に観ていた友人から、

「ねぇ。錦戸くんっていつから眉毛を『ハ』の字にするようになった?」

と聞かれました。

えっ?『ハ』の字?

と思い錦戸さんに注目していると、確かに頻繁に眉毛が『ハ』の字になっていました。

 

…全然気付かへんかった…と私が呟くと、

「錦戸くんをこの番組で観ると、大抵髭を生やしてて、前髪が上がってて、眉毛が『ハ』の字になってて、私の好きだった錦戸くんじゃないな~と思いながら観てる。」

と友人は言い、続けて

「っていうか、今日はゲストのPerfumeの方を見てる錦戸くんが、眉毛のせいで、久しぶりに会った姪に『大きなったなぁ』って言う親戚のおっちゃんみたいになってる。」

と静かに言いました。

 

えぇっ!!…でも錦戸くんは関ジャニ∞の男前枠じゃ?と私が言ったところ、

「う~ん。どうやろ。微妙。」

と衝撃の一言を友人が放ちました。

しかし、友人は

「でも、錦戸くんは関ジャニ∞の中でずっと男前枠でいてほしい。」

とも言っていました。

カッコいい姿を求められる錦戸亮

これはあくまで私の友人の個人的な一意見にすぎません。しかし、2017新年会で村上さんがアンケートに書いたように、錦戸さんは『関ジャニ∞のふざけていない部分』のイメージを大きく請け負っているのだな、と思いました。

私はジャニ勉やクロニクルを通じて、眉毛を『ハ』の字にして仔犬のような錦戸さんも愛らしいことを知ってしまっていますが、友人のように「面白い団体芸すらできてしまうアイドルグループ・関ジャニ∞の中でも、錦戸亮には常にカッコよくいてほしい」 と思っている人が、実は結構いるのかもしれないな、と思いました。

そして、Tokyoholicのsession movieを持って行かなかったことを心から悔やみました。

錦戸さん『月曜から夜ふかし』出演決定

そんな錦戸さんが、ついに5/1放送の『月曜から夜ふかし』に出演します

昨年12月のエイタメ魂MCで錦戸さんが切望したバーター出演が、こんなにも早く実現しました。

錦戸さん、おめでとうございます!

何の告知で来るのかはさておき、メンバーの中でもとりわけ錦戸さんに甘い村上さんが同番組内で錦戸さんを甘やかす様子が既に目に浮かびます。

それはマツコさんも同じで、きっと「さすが、村上とは違うわね。」的ないつものシナリオ通りに話を進め、タジタジになって眉毛を『ハ』の字にする錦戸さんも容易に想像できます。

 

私は決めました。

この機に友人に教えよう。

「確かにシュッとした錦戸亮はカッコいい。だけど、関ジャニ∞の中にいると、爬虫類に関するものにビビりすぎたり、急に丸山隆平に攻められてナヨナヨし、眉毛を『ハ』の字にして許しを乞う錦戸亮もいて、そんな錦戸亮を母親のように甘やかしすぎる村上信五もいる。そんな錦戸亮は、ライヴのMCで『夜ふかしに出たい』と自ら懇願し、ついに5/1の月曜から夜ふかしに出演することになった。そんなわけで、この日の月曜から夜ふかしはそんな経緯があったのだと、温かい目で錦戸さんの『ハ』の字眉毛を見てほしい。そしておそらく、仔犬のような目と眉毛で『村上くん、助けて~』と合図を送る錦戸亮が見られるだろうし、それは母性本能をくすぐられるだろう。」と。

『モンスターハンターストーリーズ RIDE ON』第26話(村上さん声優出演)

関ジャニ∞が主題歌を務めるフジテレビ系アニメ『モンスターハンターストーリーズ RIDE ON』の第26話(4/2(日)放送分)で、ついに村上さんが声優出演しました。

4/9(日)午前7時59分までなら下記で無料で視聴できるようなので、見逃した方、もう一度ご覧になりたい方は下記をどうぞ。

fod.fujitv.co.jp

 

このアニメではこれまで後藤真希さん・DAIGOさん・つるの剛士さんがゲスト出演していて、その際は次回予告でゲスト出演が告げられていたのですが、なぜか村上さんの声優出演はモンハンアニメ内の次回予告で告知されませんでした。理由はよくわかりませんが、キッズダンサー企画もありましたし、最初はめざましテレビで発表するという決まりがあったのかもしれません。

村上さんが声優出演することになった経緯

村上さんがモンハンアニメに声優出演することになったのは、昨年9月下旬に行われたモンハンアニメの試写会で、主題歌を務める関ジャニ∞がゲームをし、優勝した村上さんにご褒美として贈られたからです。

 

試写会の内容は口外禁止だったので当時あまり多くを語れませんでしたが、試写会から半年以上経ち、その内容のほとんどはテレビや雑誌・ジャニーズwebで公表されているので、もうそろそろいいのでは…ということで書きます(勝手な私の判断です)。

  

村上さんが優勝して声優出演が発表されたとき、その時期について、どなたか(アニメ制作陣のどなたかだったと思う)が「はっきりとは言えないが、出演は2月か3月か…」と言っていた記憶があります。*1

ですから、私にとって村上さんの声優出演は「待ちに待った」という言葉がぴったりでした。

第26話は新章の始まり

村上さんが出演した第26話は、主人公のリュートが、同期の新米ライダーであるシュヴァル達と離れて新たな道を進み始めた、まさにその一歩を踏み出した回でした。

シュヴァルのお母さんが狂気化したモンスターに襲われ命を絶たれてからというもの、シュヴァルの闇落ちが日曜朝から息苦しいほどで、そんな重苦しい空気を一気に払しょくさせたのが第26話でした。

ちなみに、毎週モンハンアニメを観ていても、「シュヴァル」という台詞を耳にするたびにすばるさんの顔が思い浮かびます。関ジャニ∞ファンあるあるでしょうか…。

『ネダン』の祖先『レダン』の名前はゲームにもある

試写会で村上さんが声優に選ばれたときに、確か「今から脚本を考える」という話があり、その際に村上さんが「台詞は関西弁にしてください」とお願いしていた記憶があります。

ですから、村上さんが声優に選ばれた段階では『ネダン』の構想はおそらくなかったはずです。

しかし、伝説のハンター・レダンの名前は、3DSゲームの『モンハンストーリーズ』に登場するらしいので*2レダンはアニメオリジナルのキャラクターではありません。

ですから、元々ゲームに登場する『レダン』からヒントを得て、村上さんのテレビ的イメージに沿ったキャラクター『ネダン』という末裔を作った脚本家のセンスは素晴らしいと思いました。

 

そして、そのネダンが、常に金を集めることに頭がいっぱいな非常に胡散臭いオッサンであると見せかけて、ちゃんとニセのモンスター(しかも現段階でそこそこ強いモンスター)の卵を入れておくだけのハンターとしての腕があり*3、そのことをライダーとして天性の能力を持つ主人公リュートがきちんと見抜いている=わかる人はわかっている、というストーリーになっているところにも、脚本の愛情を感じました。

もし他のメンバーが声優を務めていたら…

今回の『ネダン』は、村上さんのためにアニメオリジナルで書かれたキャラクターで、はまり役でした。私も娘もニヤニヤしながら、時には爆笑しながら視聴し、とても楽しみました。

 

一方で、もし他のメンバーが声優に選ばれていたら、どんな場面に登場して、どんなキャラクターになったのかな…とも思ってしまいました。

特に、村上さんと優勝をかけて争った丸山さんが声優に選ばれていたとしたら、きっとモンハンアニメの世界観に溶け込み、低い声、高めの声、ちょっとおふざけモードの声、甘い声、冷たい声などを巧みに使い分けた、村上さんの『ネダン』とはまた違う愛すべきキャラクターの声優を務めたかもしれないな、とも思いました。

 

最近ちびまる子ちゃんで、主題歌を務めるゴールデンボンバーのメンバーがお話の中に登場していました。このように、関ジャニ∞全員がゲスト声優を務めるアニメも見てみたいな、と思います。

私の「関ジャニ∞はじめまして」話

※ここからは、モンハンアニメに全く関係ないわたくしごとですので、ご興味のある方のみお読みいただければ幸いです※

 

私が、画面越しでない、生身の関ジャニ∞を初めて見たのがこのモンハンアニメ試写会でした。

当時は試写会の内容を口外できなかったのと、私の心が落ち着いていなかったので書けませんでしたが、半年経って村上さんの声優回も無事終わり、当時と比べると落ち着いて書ける気がしたので、改めて書き残すことにしました。

 

試写会では第1話と第2話を観た後、関ジャニ∞が登壇することになっていました。

この試写会は映画館で行われたので、映画の舞台挨拶と同様に舞台袖から関ジャニ∞が登場するものと思っていたし、疑いもしませんでした。

ところが、「関ジャニ∞の登場です!」という言葉の後にスポットライトが向けられたのは会場後方の扉で、それが開いて先頭の村上さんが現れました。

そして次の瞬間気付きました。

関ジャニ∞が真横を通る」と。

私は通路側から2席目に座っていました。

皆さん、映画館の通路側から2席目に座り、通路から人が歩いてきたときの距離を思い出してください。

そして、その人が関ジャニ∞だったら…とご想像ください。

確かにライヴでも最前列ならものすごく関ジャニ∞に近いですが、舞台上にいるのでいくらか見上げることになりますよね。その高さが、同じ地面の上で座っている人と立っている人の間隔に狭まるのです。

私は完全に体が固まって顔が硬直し、関ジャニ∞が近づいてくるのをただただ見つめるしかありませんでした。

ライヴDVDを観ていると、関ジャニ∞がファンと同じ目線で近づいて握手したりする場面があります。もちろん私も何度か観ました。その恩恵を受けたeighterさんは、皆さん嬉しそうな(時には涙も)顔をしていますよね。どうしてそんな豊かな表情ができるのでしょう。羨ましい…。私は瞬発力がなく、咄嗟の行動ができないため、顔面の筋肉がモアイ像のように全く動かなかったので、もしかしたらメンバーに「何メンチ切ってんねん」と思われたかもしれません。普段から無愛想かつ不美人な私の顔ですが、このときばかりは自覚があるほどひどいものでした。

 

残念なことに、あまりに突然の出来事で詳細を覚えていないのですが、たった一つだけ鮮明に覚えていることは、

関ジャニ∞は、私が想像していた以上に全員顔が整っていて、スタイル抜群の男性の集団でした。(「そんなこと画面越しでもわかるやん!」というツッコミ、ごもっともです)

何て言ったらいいのでしょう、とにかく私が普段生活する場所には生息していない種類の男性です絶滅危惧種扱い)

 

この先の私の人生においても、この日ほど関ジャニ∞に近づく日はもう来ないでしょう。それほど、私の「関ジャニ∞はじめまして」が突然の衝撃で、あまりに近すぎる距離でした。

そして、一つひとつの質問に真摯に答える姿、お笑い芸人がやるような足つぼマットでの縄跳びを懸命に飛ぶ姿、子どもと接する穏やかな表情や、父親のようでもあり学校の先生でもあるかのような子どもへの優しい対応、観客や記者への細やかな心遣いや態度を実際に目の当たりにして、私はもうこの7人から離れることはないと確信しました。

 

私にとってこの日は、私の関ジャニ∞ファン人生を決定づけた日で、一生忘れられない思い出深い日となりました。

 

そんなわけで、この先もブログの更新の間が空いてしまうこともあるかと思いますが、決して関ジャニ∞に冷めてしまったというわけではありません。

これからものんびりとこのブログを続けていけたらと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。

*1:その話を聞いて、テレビアニメはおよそ半年先くらいまでの内容がスタート前から作られていることを知った

*2:実際には『レダンの村跡』という地名のようだが、娘はまだまだそんなところまでゲームを進められていないので不明

*3:モンスターの卵を捕獲するのは、モンスターに見つかる可能性が高いうえ、モンスターに襲われる危険と隣り合わせのため、とてもリスクがある

関ジャニ∞の情報を自分の中で整理し、思ったこと。

2週間更新を怠っている間に続々と新しいお知らせが入ってきて、ついていくのに必死です。

 

まだ3月という改編期が過ぎていないので確定ではありませんが、今のところ、イチゲンさん(安田さん)を除き、関ジャニ∞のレギュラー番組(個人・グループ、テレビ・ラジオ)は4月以降も継続されるようです。

 

それらレギュラー番組を持ちつつ、

①『プレミアムフライデー』ナビゲーター就任

②舞台『上を下へのジレッタ』主演(横山さん)

③舞台『俺節』主演(安田さん)

④二人舞台『蜘蛛女のキス』(大倉さん)

⑤『関ジャニ'sエイターテインメント』DVD&ブルーレイ発売

⑥ニューアルバム『ジャム』発売

⑦夏5大ドームツアー

⑧映画『スパイダーマン ホームカミング』アンバサダー就任&日本語版主題歌決定

関ジャニ∞は上記の活動を並行して行うことが決まっています。

 

一応、日付順に並べてみました。

5/7舞台『上を下へのジレッタ』初日(横山さん)

5/10『関ジャニ'sエイターテインメント』DVD&ブルーレイ発売

5/27舞台『蜘蛛女のキス』初日(大倉さん)

5/28舞台『俺節』初日(安田さん)

6/18舞台『蜘蛛女のキス』千穐楽(大倉さん)

6/19舞台『上を下へのジレッタ』千穐楽(横山さん)

6/28関ジャニ∞ニューアルバム『ジャム』発売

6/30舞台『俺節千穐楽(安田さん)

7/15『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』ツアー開始(札幌)

7/20~23『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』(大阪)

8/4~6『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』(名古屋)

8/11映画『スパイダーマン ホームカミング』公開

※公開に合わせたイベントへの出演と日本語版主題歌のシングル発売が予想される。

8/13~16『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』(東京)

9/9~10『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』(福岡)

ものすごく予定が詰まってます。見にくくてすみません。

 

これを眺めていて思ったのですが、

関ジャニ∞に、ニューアルバムと映画主題歌の歌や演奏を覚える時間と、夏のツアーのリハーサルを行う時間ってどこにあるんでしょうか?

上記の日付順のスケジュールの中にレギュラー番組は入っていないので、

横山さんならヒルナンデスの生放送とロケが、

安田さんにはありえへん∞世界の収録が、

大倉さんにはラジオの生放送(もしくは録音)が入り、

関ジャニ∞クロニクルの収録、

ジャニ勉収録(大阪への往復)、

関ジャムのセッションの練習と収録が入るんですよね。

そしておそらく、

6月下旬にはテレ東音楽祭、

7月上旬にTHE MUSIC DAY

7月下旬にFNSうたの夏まつり

の大型音楽特番が放送され、それに出演する可能性大ですよね?

私ならいつかのタイミングで間違いなく倒れるスケジュールでしかありませんが、関ジャニ∞の皆さんは大丈夫でしょうか?

関ジャニ∞が超人か、無理をしているように見えて、めちゃくちゃ心配です。

 

ここからは、あくまで私自身の決意表明です。

 

今から9月の夏ツアー終了まで、

関ジャニ∞クロニクルの企画に全員揃わない、一部のメンバーか個人の企画が多くなる

・ジャニ勉に全員揃わない

・関ジャムのトークが5人で、セッションも人数少なくなりがち

・音楽番組でダンスがイマイチだった、バンド演奏が揃っていなかった、演出が気に入らなかった

だとしても、私は文句を言いません。

こんなに忙しい関ジャニ∞に文句を言うのは、あまりにも酷だと思うからです。

私は、テレビを観たり、ラジオを聴いたり、機会が得られたら舞台やライヴに足を運び、CDやDVD&ブルーレイを買えるだけ買い、外出の際にはプレミアムフライデーの公式HPからYou Tubeを再生しまくって、思う存分楽しみます。

想像するだけでワクワクするし、半年も先の楽しみが確保されていることがとてもうれしいです。

 

関ジャニ∞の皆さん。

とにかく体に気をつけてください。

いつもたくさんの楽しみをくれてありがとう。

苦手な家計の見直しと無駄な出費を改め、その浮いたお金で貢ぎます(笑)

しゃべくりファンから見た【ゲスト・村上信五】回のしゃべくり007

<最初に>今回の記事は相当長いので、お時間のある時にお読みいただけると嬉しいです。

 

「お知らせ、お知らせ…あぁ。来週のしゃべくりに出ます。」

その一報は、3月9日のイフオア昼公演で本人から直接発表され、会場に「キャー!!!」という歓声が響き渡りました。

しゃべくり007の概要

しゃべくり007は2008年7月から放送が開始され、私はその初回から、一度も欠かすことなく観ています。

当初この番組は土曜夕方に30分枠で放送されていました。番組開始当初、司会は番組冒頭にピストル型のくじ引き方式で決められ、その司会だけがくじ後にカンペを渡され進行を開始するというやり方だったので、MC慣れしていないメンバーが司会になってぐちゃぐちゃになることもありました。

司会がほぼ固定されゲストを呼ぶ現在のやり方になってからも、しゃべくりメンバーがゲストや企画内容を知らされないスタイルを貫いています。一方、ほとんどのゲストは予め企画内容を知らされています。というより、スタッフとゲストとの事前打ち合わせが行われ、企画が作られるのがほとんどです。

 

以上を前提に、今回の記事をお読みいただけると幸いです。

イフオアで本人が発表した時の様子

イフオアで村上さんが喋った内容のレポは既にたくさん流されていると思うので、ここからはあくまで私の主観として述べます。

 

村上さんが冒頭のお知らせの後に、

「いや、ずっと断ってたんですけどね、どうしてもと言われうちのチーフが断り切れず、今回急遽出させていただくことになりました。今しゃべくりスタッフが大急ぎで編集していると思いますし、どこが使われるのかはわかりませんけど…」

と、村上さんにしては珍しく後ろ向きな表現を使っていたのがずっと引っかかっていました。

もちろん様々な理由があると思いますが、オンエアを観て思ったのは、

①MCでなくゲスト(しかも単独出演)の立場という不安

月曜から夜ふかしとは真逆の、持ち上げられる企画であったことに対する戸惑い

③しゃべくり007の真骨頂ともいえる「台本がなかった」ことに対する不安

という理由があったのではないかと思いました。

そこで、これら理由をもとに今回のしゃべくり007を考えたいと思います。

実は高度な仕事をしているしゃべくりメンバー

視聴者の多くは、気になるゲストの場合のみしゃべくり007を観るという方だと思いますので、頻繁に番組を観ていない方向けに話をします。

 

月曜22時枠に移動してからのしゃべくり007は、ゲストとのトークと企画によって番組が進行しています。そして、ほとんどのゲスト(但し、一部のお笑い芸人を除く)の最大の目的は『番宣』です。

ところが、この番組では決められた台本や企画通りにトークが進行するわけではありません。そんな番組は、同じ日テレで昼間なら『メレンゲの気持ち』、夜なら『おしゃれイズム』がありますから、これ以上必要ないでしょう。

 

しゃべくり007が番組当初から貫く「予め台本を渡さない」スタイルを、しゃべくりメンバーは難なくこなしているように見えますが、よく考えてみて下さい。彼らは事前にゲストが誰であるか知らされることなく、ゲストの登場と同時にそのゲストに関し彼らの脳内に蓄積された情報を一瞬で引き出し、ゲストの魅力を最大限に引き出すホストとしての役割を務めなければならないのです。一般人で例えるならば、いきなりたくさんの人の前で何かの司会を務めなければならなくなったようなものでしょう。

 

それだけでなく、番宣目的のゲストの多くは台本がないことに慣れていません。特に俳優や女優の場合、彼らの仕事には台本があり、台詞を覚え、それに沿って監督や演出家の意向に従って演技をするのが基本ですから、彼らの仕事に台本がないということがありえないのです。

ですから、ゲストの多くは、MCに話を振られて答え、脇にいるその他のしゃべくりメンバーに言われるがままに、時にはイメージに関わるようなことでさえやらされることがあります。当然その無茶ぶりを面白いと感じる人/不快に感じる人に分かれるでしょう。ですが、少なくとも俳優や女優は「好きなことを喋ってください」と言われるよりも「これをこういう風にやってください」と言われた方が、職業的にはやりやすいという見方もできます。

 

そして、これはMCをメインに仕事をしている村上さんにも通じます。ジャニ勉にせよ村マヨにせよ、村上さんのほとんどの仕事はまず台本に目を通すことから始まると思われます。ですから、台本に目を通せないことに不安を感じても何ら不思議ではありません。

加えて、今回は単独出演。他のメンバーがいればそのメンバーとの掛け合いで求められたバラエティ力を発揮できるけれど、それができない。いつもゲストの良さを引き出す立場に専念している村上さんが、引き出される立場になって面白いことを言えるのかと心配するのは当然ともいえます。

皮肉にも露わになった「NG」の存在

今回村上さんは「ジャニーズなのにNGなし」というテロップが出されていました。

これを裏返せば、ジャニーズタレントにはNGが存在するということです。

ジャニーズだけでなく俳優でも女優でもNGは存在することに間違いない*1ので、ここでは「お笑い芸人以外のゲストにはほぼ間違いなくNGが存在する」と定義します。

ですが、しゃべくりメンバーの立場で考えてみてください。

もし、台本なしでNGアリのゲストとフリートークしてくださいと言われたら、何をしゃべっていいのか困りませんか?

ですから、あの7人は、視聴者が思っている以上に相当注意を払いながらゲストからトークを引き出しています。

だけど、そのことにも限界がある時があります。

それは、ゲストがあまり話をする気がなかったり*2、話が広がらなかったり、トークがフワッとしたものになった時です。

そんなとき、しゃべくりメンバーはゲストを使って、あるいはゲストを放置して、内輪で盛り上がることによりトークネタを昇華させる時があります。

しゃべくり007にはいくつかのお決まりパターンが存在する

そのパターンを、今回の村上さんゲスト回のトークネタを使って説明します。

ですが、実際にはいずれもお決まりパターンで終わっていませんので、予めご了承ください。

※まだオンエアをご覧になっていない方はご注意ください※

 

前提として、基本的にしゃべくり007は、画面左側がボケ担当(有田さん、ホリケン、徳井くん)、右側がツッコミ担当(名倉さん、福ちゃん)&泰造さんのボケ担当、と分けられています。 

 

【パターン1】ゲストの特技に対し、ボケ担当が「俺もやってみたい」と次々やり出すパターン

「カッコいいダンスを踊って」と言われた村上さんが、ダンスをしたシーン。

通常、ゲストには音楽が用意され、キメキメのダンスを披露し、大歓声と拍手で終わります。そこに、有田さんが「俺もやらせて」と言い出し、音響に同じ音楽をかけさせ、もたっとしたダンスを踊ります。次に、徳井くんもしくは泰造さんが「俺もやっていいですか」と言い出し、有田さん同様同じ音楽をかけさせ、彼らのキャラに合わせたヘンテコダンス*3を見せます。最後にホリケンが「俺も…」と言い出し、音楽が鳴ってダンスを始めるとすぐに「はい、終了~」と上田さんが強制終了する、というパターンです。

このパターンは、「PERSONの表紙の顔をやってみて」と言われた村上さんが表紙のとおりの顔にトライしたシーンで、通常は、用意された写真通りのキメ顔を見せたゲストに続き、ボケ2人が変顔を披露し*4、最後のホリケンでわざと目を二重にした顔を披露し、上田さんに「失格!」で終わるパターンとも通じます。

 

【パターン2】ゲストの話を地蔵のように固まった無表情で聞くひな壇メンバー

「恋愛話をすると周りに小馬鹿にされる」という村上さんに「じゃあ笑わないから真面目に話してみて」とやらせたシーン。

通常、ゲストはイメージ通りの恋愛トークを繰り広げ、お客さんは反応するものの、上田さん以外のしゃべくりメンバー全員が地蔵のように固まった無表情な顔で一切の反応をせず、最後に上田さんが「お前ら聞け~!」とツッコミを入れて終わるパターンです。

 

「お決まりのパターン」というと一見ネガティブな言葉にも思えますが、私はそのような意味で言っていません。ゲストの話を面白く見せ、収録の撮れ高を増やすために必要な技術だと私は思っています。

今回がパターンから外れた理由

ところが、既に皆さんがオンエアを見たとおり、今回はこのお決まりパターンがあまり見られませんでした。

迷わずバラエティを選ぶ村上さんがしゃべくり007を観ていないはずがなく、当然このパターンも知っていると思うので、もしかすると村上さんは収録後に「いつも見ていたしゃべくりの感じとちゃうな…」と不安を抱いたのかもしれません。

 

それでは、どうして今回お決まりパターンとならなかったのかを考えます。

 

【理由その1】しゃべくりメンバーが終始村上さんを「ジャニーズアイドル」として扱ったから

当たり前ですが、しゃべくりメンバーは『お笑い芸人』で、ゲストの村上信五は『ジャニーズアイドル』です。お笑い芸人が村上さんをお笑い芸人扱いすれば、それは「プロのお笑いがジャニーズアイドルの笑いに負けた」と自分で言うようなものです。ですから、これはブラックマヨネーズが村マヨで村上さんに接するときと同じですが、世間の村上さんへの見方がどうであれ、お笑い芸人にとって村上さんはジャニーズアイドルであり、そこをコケ下ろす笑いには決してしません。それは、お笑い芸人のプロとしてどうしても譲れない部分と言っていいと思います。

 

【理由その2】しかし村上さん一人の力でほぼオチ前のボケが成立していたから

通常のゲストは、ボケないしツッコまないし、一問一答で聞かれたことに答えるのみなので、バラエティ番組として話を広げるためにはボケ(しかも複数)の存在が必要になります。

ところが、今回村上さんは、上田さんを中心としたしゃべくりメンバーからの質問に対し2倍3倍の答えを返し、常にそこから話をさらに広げられる話のタネを(おそらく無意識に)散りばめていました。

上述のしゃべくり007のお決まりパターンで考えると、

「カッコいいダンス」は2度も踊ったのにダンス中に関西弁を連発してしまったことでカッコいいダンスが成立せず、

「PERSON」は3回トライしても表紙の再現ができずに残念な顔で終了し、

つまり、通常のパターンで有田さんや徳井さん・泰造さんがやるボケまで村上さん一人の力でやってしまいました。

「恋愛話を真面目にする」に至っては、村上さんのド天然が炸裂して「おきもの」と言って「お着物」か「置物」かわからない小ボケでしゃべくりメンバーを動揺させ、カメラ目線*5の「ついてきてくれるか」でしっかりボケを決め、ゲスト一人で笑いを起承転結させるという大技を繰り出しました。

 

【理由その3】しゃべくりメンバーが自ら普段とは違う立ち位置に転じたから

上述のお決まりパターンで書いたように、通常のしゃべくり007では、ひな壇メンバーはボケ4名・ツッコミ2名でほぼ進行します。

ところが、今回は上記【理由その2】で書いた通り、村上さん一人でオチ前のボケは完結していたので、かなり早い段階で、特攻~2陣ボケ部隊である有田さん・徳井くん・泰造さんが「笑いを作らなければ」と気負わなくていいと察したのです。

したがって今回は、ボケ1名(ホリケン)、ツッコミ3名(名倉さん、有田さん、徳井くん)、その場を心から楽しむ人たち(泰造さん、福ちゃん)という布陣になりました。

この点は、もしかすると村上さんを大いに心配させたところかもしれません。

先生コーナーは視聴者のために番組側が用意したプレゼント

全ての村上担さん・eighterさんが見たくても入手困難なイフオアのチケット。

そこでしか見られない先生の講義が、今回じっくり披露されました。

全国の村上担さん・eighterさんが歓喜した一方で、当の本人とそれを見たしゃべくりメンバーは複雑だったと思います。

 

バラエティを重んじる村上さんにすれば、生半可な気持ちでやっているわけではない大事なものとはいえ、アイドルの自分が本職の目の前でコントを披露することは抵抗があったでしょう。

一方、これを見たしゃべくりメンバーも複雑な心境だったでしょう。

私がそう思った理由です。

①ネタ元がジャニーズのため、爆笑して当該グループファンや事務所関係者から批判されるという不安があった。

②このネタをお笑い芸人がやれば、間違いなく非難の対象となる。したがって、このネタを使えるのはジャニーズ内タレントだけであって、そこに着目した村上さんに対する感心。

③「レギュラー番組を多数抱える村上くんが、いつ・どうやってこのネタを作り仕上げているのか…」という本職ならではの疑問。

 

最後に上田さんが「アイドルではない。なぜならアイドルはネタを作らなくていい」と言ったのは、「村上くんはジャニーズアイドルなんだから、そのままで十分なんだよ」という意味もあると思いますが、私はそれよりも「忙しい中でのネタ作りは本当に大変だろうから、無理しないようにね」という、お笑いやネタ作りの難しさを知る本職のお笑い芸人ならではの労いの言葉に受け取りました。

 

そんな、出演者全員が複雑な心境になることを見越してでもこのネタを披露することをスタッフが決めたのは、その後の「実はハイスペックアイドル」に繋げるための伏線であり、イフオアを観られない全国のファンに対するプレゼントだったと私は思っています。

「しゃべくり007でお決まりパターンがなかった」 はゲストが仕事をした証拠

しゃべくり007でお決まりパターンがなかったということは、しゃべくりメンバーが「面白くしなきゃ!」と頑張る必要がなかった、それだけ十分面白い内容だとしゃべくりメンバーが判断したという意味です。

つまり、ゲスト自らがしっかり主導権を握って話の中心に自分を置き、バラエティ番組を成立させているということです。

 

特に、お決まりパターンがなかった今回で重要なのは、

第一に、徳井くんがツッコミに転じたことです。

特に私が「!!」と思った徳井くんの台詞が、

「関西人から見ても、自分、関西弁キツイで」です。

徳井くんと同郷の私の偏った考えかもしれませんが、

京都出身男性がそれほど親しくない相手を呼びかけるときに「自分、」とは使いません。そこは「○○くん(さん)、」と置き換えられるからです。

つまり「自分、」を京都出身男性が使う時は、京都人男性自身が相手にある程度の親近感を持っているということになります。

したがって、徳井くんは、村上さんの関西弁が強いことでアイドルらしからぬ部分に容赦なくツッコむことができる、その前フリのボケを託せるゲストと判断したうえでツッコミに転じたといえます。

 

第二に、泰造さんがその場を心から楽しむ人になっていたことです。

実は、(ゲストが誰だったか忘れてしまいましたが)以前にもこのようなことがあり、他のメンバーから指摘を受けた泰造さんが「だって楽しいんだもん!」と言い返していたのを覚えています。

つまり、泰造さんがボケをせずニコニコしている=現場の雰囲気がとてもいいということを示しています。

 

そして、最初の方で村上さんが後ろ向きの発言をした理由として挙げた②夜ふかしとは真逆の持ち上げられる企画について、しゃべくりメンバーは、通常、ゲストと打合せしたうえでの企画コーナーに村上さんはノータッチで参加していて、かつ戸惑っていることに気付いたのでしょう。最後に、モデルか童貞を選ばせ、「いつもの村上くんらしく」話のオチをつけさせていました。

 

イフオアで村上さん本人が語ったところによると、この回は、多忙な村上さんのスケジュールに合わせて通常とは違う日もしくは時間に収録されたようです。

そのことに恐縮しきりの村上さんでしたが、実はこのようなことは(特に大物有名人の場合)時々あるとメンバーが言っているのでそんなに気にする必要はないと思いますが、イレギュラーなスケジュールで集められたしゃべくりメンバーに過剰な気を遣わせずにしっかりとゲストとしての仕事を務めようとする村上さんの心意気をしゃべくりメンバーはしっかりキャッチし、ゲストと一体になって楽しんでいました。

自分がかれこれ9年近くずっと観てきた番組で、自分が応援している人たちが楽しくしゃべっている姿に私は感動し、思わずツイッターで呟いたところ、たくさんのeighterさんに共感され、RT・ファボ等々していただきました。本当にありがとうございました。

 

結論

私は、関ジャニ∞ファン歴よりもしゃべくりファン歴の方がずっとずっと長いです。

そんな私から見て、今回の村上さんゲストの回はとても楽しい回でしたし、これまで出演したジャニーズアイドルの中で群を抜いて面白い回でした

そしておそらく、今回を超える面白い内容にできるジャニーズアイドルは、おそらく誰も出てこないでしょう。

つまり、村上信五の「実はハイスペックアイドル」の中には、見た目やアイドルとしての素質のハイスペックだけでなく、番組を盛り上げたり出演者に過剰な気を遣わせないハイスペックも含まれていた、ということが明らかになった回だと言えるのではないでしょうか。

*1:例えば、2か月ほど前にドラマ『東京タラレバ娘』の3名の女優がゲスト出演したが、当然ながら主役の女優に「フライデーの彼とは順調ですか?」とは聞かなかったし、昨年結婚した女優に対して結婚生活すら聞かなかった。

*2:立場上やむを得ないのかもしれないが、個人的にはそういう人はこの番組に出るべきでないと思う。

*3:徳井さんは大抵自ら『コンテンポラリーダンス』と呼ぶヘンテコダンスを披露する

*4:有田さんは大抵プロレスラーの顔真似をする

*5:クロニクルで培われた力が発揮された

村上信五の恋愛ドラマを妄想する

イフオア大阪公演に届いたテレ朝ドラマ班からのお花から始まり、日テレ10月期ドラマの噂など、このところ村上さんがドラマに出演するのでは、という情報が駆け巡りました。

以前も書いたとおり、関ジャニ∞の中で「演技に向かない」と自ら発言する村上さんですが、私はそうは思わないのです。

確かに東京生まれ東京育ちの役柄は合わないかもしれないけど、関西出身の仕事のできる男の設定なら恋愛ドラマでキュンキュンさせられると思うんですよ。

そんな男の恋愛ドラマを観てみたい!という私の勝手な妄想が暴走し、ついにストーリーを考えてしまいました。しかもめっちゃめちゃ長いので、「きっしょ!(by渋谷すばる)」という方はこのまま引き返していただき、温かい心でお読みいただける方のみお目通しいただけると幸いです。

~ストーリー~

出会い 

今日発表された人事異動を見て、私の胸の奥にあった小さな針先ほどの傷の痛みを鋭く感じた。

「4月1日付 村上信五 本店営業部第3営業課課長」

 

彼と私は、同い年の同期入社だ。

彼も私も総合職入社で、私が入社した頃は女性の総合職を増やそうと各大手企業が躍起になっていた時代。私も、そんなバリバリの女性総合職を目指して今の都銀に入社した1人だ。

彼も私も一番最初の配属先が新宿支店で、他にも10名の同期が同じ新宿支店に配属された。私たちは週末になると10名で集まっては仕事の愚痴を言い合い、時には日が昇るまで熱く語り合った。そんな遅い時間まで残っているのは同期の女性で私だけだったから、いつも「お前こんな時間まで大丈夫なの?」と他の男性同期には心配されたが、彼だけは決まって「俺らがちゃんと送り届ければ大丈夫や!」と、仕事でもプライベートでも決して変わらない関西弁でみんなを説得していた。

私はそんな彼と同じ融資担当だったこともあり、他の同期よりもさらに飲みに行くことが多かった。当時私には大学の先輩で商社勤務の彼氏がいて、その愚痴や相談もよくするようになった。彼は毎度「ほぇ~~」とか「そやなぁ」という相槌を打ちつつ、最後には決まって「まぁ、明日の夜、酒飲まんとお前から仲直りせえ!」と言われるのがオチで、結局私も彼氏と仲直りするという日々が続いた。

 

最後の一夜 

入社から丸3年を迎えようとした3月。

村上信五は、東京から遠く遠く離れた小さな街の支店に異動することが発表された。

地方では地元の銀行や信用金庫が強く、大手都市銀行の入り込める余地はなかなかない。つまり、彼の異動は出世コースから外れたことを意味していた。

この頃、私自身この先も大手都市銀行の総合職として働き続けられるのか、不安に感じていた。そのうえ、商社勤務の彼氏が浮気を繰り返していたことが発覚したが、25歳という年齢で周りが徐々に結婚していくなか、彼との関係を清算する勇気などあるはずもなく、ずるずると関係が続いていた。

そんな弱い私を全て知る唯一の存在である村上信五が遠い遠い街に異動してしまうこととなった。

 

彼の最後の新宿支店勤務が終わり、私たち同期10名は彼の壮行会を開催した。

明日の仕事が早いから…と1人、また1人と途中で人数が減り、最後には私と彼が2人きりになった。完全に泥酔していた私だが、壮行会で彼が言った「俺、もう借りてた家引き払ったから、今日はホテル泊まりやねん。」という言葉だけはしっかり覚えていて、歌舞伎町のど真ん中で「じゃあさぁ~~、これから村上のホテルの部屋で飲み直そ~よぉ~~~!」と大声で叫んだ。彼は慌てて私の口を彼の右手で塞ぎながら「ちょっ、おまっっ、何言うてんねん!!」と動揺していて、そんな彼の顔を見て、私は彼の右手を両手で掴んで口から無理矢理剥がすと「村上のホテルの部屋に行きたい!行きた~~~~い!!」とさらに大きな声で騒いだ。彼は「こらっ!大声出すな!誰が見てるかわからんやろ!わかった、わかったから大声出すな!」と私を制したので「今、言ったね?はい、じゃあ行くよ~~~!」と、先ほどから力強く握っていた彼の右手を、今度は両手で引っ張って彼の泊まるホテル方面へと歩き始めた。

 

彼は「お前な~、ホンマ…」とブツブツ言いながらホテルの部屋を開け「ほれ」と入室を促された。「部屋、何も酒ないで。まさか誰か来るとは思わ…」と言いながら部屋の奥に入っていく彼の背中に、私は後ろから抱きついた。「…お前どうしたん?何かあったんか?仕事か?それとも彼氏か?」と低めの声で尋ねる彼に「…今日は帰りたくない…」と小さな声で答えた。「…仕事のことでも彼氏のことでもいつでも電話してきたらええ…」と言いかけた彼を遮り「今日は、…今日はこうしてたい…こうじゃなきゃイヤ…」と私はワガママを言った。「…俺、お前の方に向いたらもうアカンで。」と言った彼の左腕を掴み、私は彼をこちらに向かせた。「…もう知らんぞ…」と吐き捨てるように言った彼は、ふわりと優しく、だけど力強く私を抱きしめた。

私は泥酔していたけれど、この夜のことを今でもはっきりと覚えている。彼の体は細いけれど筋肉質で、彼はずっとベッドの上で私の右手を彼の左手で恋人つなぎの形で握ってくれていた。その後、彼は腕枕をしながら、彼の細く長いしなやかな指で私の頭をずっと撫でてくれていた。そんな彼の温かい体温を感じながら、私は安心して眠りについたのだった。

 

翌朝目覚めると、彼の姿はなかった。ベッドの脇のテーブルに「今日は得意先の挨拶廻りがあるから先に出る。チェックアウト、12時までに延長しといたからゆっくり休んでいきや。」と書かれたメモと500mlのスポーツドリンクが置かれていた。フロントに行くと、延長料金も既に支払われていた。

 

その後の10年 

あれから10年。私は彼に1回も会っていないし、電話もかけなかった。正確に言うと、会わせる顔がなかったし、何を話していいのかわからなかった。彼は、持ち前の人懐っこさと親しみやすさで、遠い遠い小さな街で地元の地銀や信金を凌駕する営業成績を残し、次の異動先である政令都市では20代のうちに主任に昇格して、ここでも成績を残した。その次の異動地は彼の本拠地ともいえる関西の主要都市だったこともあり、わずか1年目で全支店通じての成績トップを獲得し、易々と係長に就任。まさにどん底から本店営業部の課長という異例の出世スピードで東京に帰ってきた。

片や私は、彼と一夜を共にしてからまもなく商社勤務の彼氏と別れた。だけど、成績は思うように伸びず、関東近辺の支店を転々としながら、総合職にもかかわらず一般職女性行員と同じような仕事を担わされることも少なくなかった。上司からは「女の子だから」と一般職扱いされ、一般職の女性行員からは「総合職の女性だから」と妬み嫉みの対象とされ、つい2年前にかろうじて主任に就き、何とか本店営業部第3営業課の一主任として本店に転属された程度のキャリアしか積めなかった。気が付くと課内の独身女性は、一生独身キャリアを貫くと公言しているキャラの強い女性と私しかおらず、そんな状況に焦った私は、4つ年下の本店システム管理部に所属する男性行員から言い寄られ、勢いに押されて1年の交際を続けていた。

 

4月1日。

私と彼が、同じ職場で再び働くこととなる。

だけど、ただの同僚でなく、直属の上司と部下として。

私は緊張の面持ちで当日を迎えた。

 

再会 

彼は、第3営業課に、営業部長と他の課長と談笑しながら入って来た。

課内の男性行員は「あれが村上さんか…」と尊敬のまなざしで見つめ、女性行員は「モデルみたいな体型…!」と色めき立っている。課内で唯一、私だけが顔をこわばらせて課長が来るのを見つめていた。

「この度、第3営業課の課長を務めさせていただくことになりました、村上信五です。よろしくお願いします。」と型通りの挨拶を終えると、課内の男性行員が彼の周りを取り囲んでの挨拶合戦が始まった。その男性行員の後ろに、まるで二重丸の外側の丸を描くように、女性行員が男性行員の挨拶が終わるのを今か今かと待ち構えていた。「頑張ろなー」という声が聞こえなくなり、二重丸の形が崩れ、ようやく彼の姿が視認できた。私は一歩一歩二重丸の中心に近づき「課長…」と挨拶しようとした。

すると彼は「誰が課長や!」と私に向かってガツンと一言放った後、「昔は『村上ーーーっ!』って言うてたくせに」と続け、顔をクシャっとさせて笑った。「えっ?課長は主任とお知り合いなんですか?」と入社2年目の男性行員が彼に尋ねると「知り合いも何も、同期や。入社していっちゃん最初の配属先も一緒。え?アイツ何も言うてへんの?」とつぶらな瞳をさらに丸くして男性行員に返答した。知りませんでした、と小声で返そうとした2年目の男性行員を振り返ることもなく、彼は私の方に歩を進め「まぁ、よろしく頼むわ!」と笑顔で言った。

 

何も変わっていない。

10年前と何にも変わらない彼がそこにいた。

 

4月の最終金曜日。

この日はプレミアムフライデーだったので、午後3時30分から課長の歓迎会が行われた。

相変わらず課長の周りには男性行員が群がって仕事のことをあれこれ聞き、次いで女性行員が群がり、彼女はいないのか、休日は何をしているのか、とまたも根掘り葉掘り聞き出していたが、彼はそれら一つひとつに丁寧に答えを返していた。

すると、入社7年目の男性行員が「そういえば課長と主任って同期なのにあまり話ししないんっすね。」と話を振ってきた。突然の質問で動揺した私に対し、彼は「当たり前やろ。お前らが次から次へと根掘り葉掘り質問してくるから、俺がアイツと話しする時間ないっちゅうねん!」と返し、「それもそうですね、すみません、ハハハ!」と周りは一瞬で笑いに包まれた。

 

歓迎会は午後6時に終了し、二次会の話が持ち上がったが、彼は用事があると言って帰っていった。残された課内の人間が「彼女に会いにいくんだよ」などの立ち話で盛り上がっていると、私の携帯に彼から電話がかかってきた。

「あー、俺。今日時間ある?ほれ、新宿でよう行っとったあそこのバーに今から行けへん?ほな、俺先にそこで待ってるわ。」と言うと、電話が切れた。

立ち話組が「システム管理部の彼からですかぁ?ラブラブですね~!」と冷やかす声をシャットダウンし、私は新宿に向かった。

 

バーに入ると、奥のカウンターに彼が見えた。

あの頃と同じ席、同じお酒。

まるで10年前にタイムスリップしたかのようだった。

近づくなり彼は「はぁ~~、疲れた。アイツらほんまよう喋るわ。」とため息交じりに言った後、

「おっす。元気か?」と上目づかいで私を見つめた。

それから私は堰を切ったようにこの10年間のことを一方的に話し続け、彼は黙って話を聞いてくれた。午後3時30分という昼間から呑み始めたせいかどんどん酔いが回って、私は次第に記憶が薄れていった。

そして気が付くと、歌舞伎町のど真ん中にある24時間営業の喫茶店で私は眠っていて、肩には懐かしいにおいのするスーツのジャケットがかけられていた。ふと顔を上げると、右ひじをつきながらうたた寝する彼がいた。

「あっ、ごめん!」と声をかけると、彼は「う……ん?おぅ、起きたか?」と目を細めてこちらを見た。時計を見ると午前1時。「ごめん!また付き合わせてしまって…」と言うと「それはええねんけど、お前の携帯鳴りっぱなしやったで?システム管理部の彼氏ちゃうんか?」と言われたので、慌てて携帯を確認すると、彼氏から30件以上の着信履歴と「今どこ?」のLINEが50件以上入っていた。思わず「はぁ~」とため息をつくと「ええやんか、愛されてる証拠やろ。」と、私の方を向かずに彼は喋った。

 

「帰りたくない。」

思わず私はまたその言葉を呟いてしまった。

すると彼は「今日は帰れ。」と言った。

「帰りたくない。」

今度ははっきりと私は言った。

すると彼は「ええから今日ははよ帰れ。」と言った。

思わず「なんで?」と聞き返したら「俺がこの時間まで、わざと人目に付く場所でお前と一緒にいた意味がないから、今日は早く帰れ。今なら『上司と仕事の打合せをしていた』で済むやろ。」と言った。

そうか、だから彼はわざと人目のつかない2人だけが知っているバーから人目に付く24時間営業の喫茶店に移動したんだと、その時にようやくわかった。

 

終電を逃しタクシーで帰宅した私は、車内から彼氏に電話をかけた。

彼氏は、誰とどこで何をしていたのか事細かく聞いてきた。課長と仕事の話をしていたと言うと疑ったような口調だったが、喫茶店だと言うとトーンダウンした。

そして最後に彼氏から、今後は課長と2人で会わないように、と釘を刺された。

その場をやり過ごすために「うん」と言ったけれど、電話を切った後に「うん」と返事したことを後悔した。

そして、タクシーに乗る前に彼から渡された1万円札を、手の中でギュッと握りしめた。結局私は、その1万円を使わずにそっと財布にしまった。

 

再会の後 

翌週の月曜、それ以降も、彼はいつもの通りだった。第3営業課の結束力は日増しに強くなり、他の営業課と肩を並べるほど成績が上がっていった。その一方で、成績が上がれば上がるほど、彼との実力差を感じ、心の距離を感じるようになった。だけど、ふとしたときに彼の姿を目で追っている自分に気付くこともあった。

システム管理部の彼氏と仕事の後にデートすることも度々あったが、あまり記憶にない。仕事の話をした覚えもないし、グルメサイトで評判のいいレストランで食事をしたようにも思うが、味もメニューも覚えていない。彼氏とのデートの回数が以前より多くなったような気がするが、その分束縛されているような気分になった。彼氏から同棲しないかと切り出されたような気もするが、仕事が忙しいからと断ったような気がする。彼氏は「忙しいならなおのこと一緒にいる時間を長くしよう」みたいなことを言っていた気もするが、そのための諸々の準備すら考える余裕がないと断ったと思う。私は、彼氏との付き合いに窮屈さを感じ始めていた。

 

そんなある日、得意先に課長と2人で行くことになった。

思いがけず得意先での時間がかかってしまい、彼が「今日は直帰するか。メシでも食いに行く?」と誘ってきた。私はOKし、心が躍るのを感じた。

ところが、彼が「よし、ここで食うか」と言った場所はファミレス。今までそんな場所で彼と食事したことは一度もなかった。「えっ?ファミレス?」と聞くと「なんで?アカン?」と聞き返してきたので、「今までファミレスでご飯食べたことないじゃん。」と答えると、「そりゃ、また彼氏を心配させたらアカンしやな…」と彼が答えた。

カッとなった私は「彼氏彼氏ってうるさいよ!私が行きたいんだからいいじゃん!結婚してるわけでもないのに、どうしてイチイチうるさく彼氏から言われなきゃいけないわけ!?」と言い返した。

すると彼はクスッと笑って「…それ、俺に言うことか?俺、お前の彼氏かいな。」と言った。

その言葉にハッとした私に気付いたように、彼は続けた。

「…お前、彼氏に言いたいこと言えてるか?お前のワガママを彼氏はちゃんと受け止めて理解してくれてるか?今のお前見てたら、俺が新宿から異動する前のお前に見えて、めっちゃ心配や。」と真面目な顔で言った。

そして、私に近づいた彼は私の真正面に立ち、私の頭をポンポンと撫でながら「大丈夫や、ちゃんと言うて来い。」と言ってくれた。

「ほな、彼氏にちゃんと言えるまで、メシはお預けな。」と言い残し、彼は去っていった。

 

言いたいこと…。

その日は真っ直ぐに家に帰り、テレビもつけず、お酒も飲まずに考えた。

10年前の彼はこう言った。

「まぁ、明日の夜、酒飲まんとお前から仲直りせえ!」

 

翌日の夜。

私はお酒の提供がないオシャレなカフェに彼氏を呼び出した。

 

カフェを出て、私は彼に電話した。

そしてこう言った。

「明日の夜、メシ行きたい。」

 

本当の気持ち 

待ち合わせの場所に、私は彼よりも先に入店した。

遅れて入って来た彼は、店内をキョロキョロしながら「メシってお前…ここ、こないだ俺と一緒に来た喫茶店やで。」と言った。

そう。待ち合わせの場所は、4月のプレミアムフライデーの日に、酔いつぶれた私を、おそらく彼が大変な思いをして連れてきてくれた、歌舞伎町のど真ん中にある24時間営業の喫茶店。

「そうだよ。」と私が答えると、「いや、『そうだよ』ちゃうやん。この店、酒あらへんし、メシ言うてもピラフとかスパゲティしかあらへんで。」と彼は着席しながらやや早口で言った。

「知ってるよ。」と私が答えると、「いや、『知ってるよ』ちゃうやん。知ってるんやったらなんでここなん?」と彼はもっと早口で言った。

「それは、お酒を飲まずに話をしたかったから。」と私は答えた。

すると彼は「えっ」と意外な回答だったような表情を私に見せた。

「…『メシ行きたい』ってお前が俺に言うたんやから、ちゃんと彼氏と話をしたってことやな?」と彼は言った。

私は「うん。」と答えた。

「ほんで?どやった?」と彼が聞いてきた。

「うん。言いたいこと、言えたよ。」と私は答えた。

「…おう。それはつまり…」と彼が言いかけたので、

「彼氏には『私、あなたに言いたいこと言えないの。ワガママ言えないの。だからごめん。あなたとはもう付き合えない。』って言った。」と答えた。

「そうか…」と彼は一瞬伏し目になり、再びまっすぐこちらを見た。

「ほな、俺がお前に言いたいことあるんやけど、ええか?」と聞いてきた。

「何?」と私が聞くと、

「お前から俺に電話かけてきたの、13年の付き合いで昨日が初めてやったな。」と彼は言った。

「えっ!?そうだっけ?」と少し動揺して私が答えると、

「そうや。この13年間、ずっと俺から電話かけてたんやで。気付いてへんかったん?」と彼は答えた。

「そうだったんだ…ごめん…。」と私が答えると、彼は「かまへんけどな」と笑った。

「ほんで?マジでここでメシでええの?」と彼が聞いたので、「ううん、やっぱり出る。」と答え、私たちは喫茶店を出た。

 

「ほな、どこにメシ行く?」と聞いた彼に、

「あのさ、お酒が入る前にもう1つ、今度は村上に言いたいこと言っておく。」と私は言った。

「俺にもあるんかい!」とツッコミを入れた彼に、私は

「10年前、この場所で私が村上の手を引っ張ってホテルに押し掛けたあの日の夜のこと、覚えてる?」と聞いた。

「うん、覚えてんで。」と答えた彼に、

「あの日私は、仕事が嫌だったわけでも当時の彼氏との関係を悩んでいたわけでもなかった。ただ…、村上と離れたくなかったんだ。昨日、ようやく10年越しにそのことに気付いた。」と私は打ち明けた。

すると彼はニコッと笑って、右腕で私の肩をギュッと彼に引き寄せ、あの日の夜のように、彼の細く長いしなやかな指で私の頭を撫でつつ、彼の右肩の上に私の頭をポンと乗せてくれた。

 

村上信五恋愛ドラマの私的ポイント

①普段村上さんが使っている関西弁を、できるだけ使う。

②村上さんはスタイルがいいため、ベッドシーンが結構似合うと思う。

③ただし、直接的なものでなく、村上さんの萌えポイントである指をクローズアップしてそのシーンを表現してほしい。

④仕事のできる男であることは必須条件。

⑤したがって、スーツ姿が主となる。

⑥相手役の主人公(私)のイメージは、勝手に香里奈さんに設定したので、私の中でモデル体型の2人の恋愛ドラマがイメージされている。

⑦役名を必死に考えたが、思いつかなかった。したがって、役名も村上信五になっているが、あくまでドラマ内の役柄である。 

 

 

今日のしゃべくり007はバラエティ番組の番宣のための出演だと思うのですが、いつかはこんな恋愛ドラマ主演の番宣のために各番組を行脚する村上さんを見てみたいです。

お目汚し失礼いたしましたm(__)m

6年前の3月11日

6年前の昨日、発生した東日本大震災

本当は昨日記事を書き上げていたのですが、ダラダラとわたくしごとを書き連ねるのはどうなのかな、と思い直し、記事をアップしませんでした。

ですが、昨夜の『大倉くんと高橋くん』を聴き、大倉さん・高橋優さんの言葉一つひとつであの日を思い出し、やはり記事をアップすることにしました。

 

被災地の被害、被災者の方々が失ったものや心の傷と比べれば、私が経験した東日本大震災など比べる対象にもなりえず、ブログの主旨とも全く関係ありませんが、少しでもご興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。

当時の私の状況

東日本大震災が発生する10日前の2011年3月1日。

私は再就職し、全く馴染みのない場所で働き始めました。

私が東京に移り住んでから9か月後のことです。

 

昨年「保育園落ちた 日本死ね」という言葉が話題に上りましたが、

私が再就職した時も状況は全く同じでした。

認可保育所の締め切りはとっくに過ぎ、近辺の認証保育所を片っ端から10件以上電話しましたが定員の空きはなく、無認可保育所すら同じ状況でした。

やっと見つけた無認可保育所は、山手線を乗り、さらに駅から徒歩10分、月額保育料10万円の新設保育所でした。

その時娘は1歳半。

訳の分からぬままいきなり見知らぬ集団の中で日中のほとんどの時間を過ごすこととなった娘は、迎えに行けば泣きすぎて声が枯れる日々が続いていました。

 

私は私で、東京に移住後、乳児を連れて行ける場所が限られていたので、東京に住んでいても地理をほとんど把握していない状況での再就職でした。

縁もゆかりもなく、右も左もわからない場所で働き始めた10日後に東日本大震災は起こりました。

 

地震直後

私はバブル期に建てられた、1フロアーに1つの会社しか入らないような小さなビルの7階で働いていました。

地震の揺れはすさまじく、あらゆるものが棚から落ち、高さ1メートル横幅1.5メートルほどの受付台は倒れて完全に壊れました。

私は阪神淡路大震災を経験していましたが、そのときよりも大きく長く激しい揺れでした。

 

東日本大震災が起きた当日に最も困ったこと、それは電話が繋がらなかったことでした。

まず娘の保育所に電話しようとしても、携帯電話は全く使えず、会社の電話で何度もかけ、ようやく無事であることとこれから建物の外に避難することを知らされました。

その頃には、あの津波が押し寄せて街を呑み込んでいく様子がテレビで放送され、そこでようやくこれまで経験したことのない甚大な地震が現実に起きたことを実感しました。

そしてまもなく、首都圏のJR・私鉄・地下鉄といった鉄道各社が完全にストップし、復旧のメドが全く立っていないことを知りました。

 

私はすぐさま夫の携帯電話にかけ続け、数十回のコールを経てようやく夫に繋がりました。

ところが、夫から返ってきた言葉は、

「まぁ、夕方には復旧してるんじゃない?」

という軽いノリの返事でした。

そんなわけないと何度説明しても無駄だったので、電話を切り、私が何としてでも娘を迎えに行かなければならないと腹を括りました。

後日談ですが、夫が軽いノリで返事したのにはそれ相応の理由がありました。

夫の職場は超のつく免震ビルだったため、東日本大震災でのあの激しい揺れでも、デスクの上にあったティッシュ箱が落ちた程度の揺れしか感じていなかったのです(ただし、船に乗っているような長い揺れは相当長く続いたそうです)。

 

娘を迎えに行くまでの長い道のり

そして、すぐに荷物をまとめて職場を出たら、バスターミナルにものすごい数の人が溢れていました。

私にとって見知らぬ土地だったので、どこ行きのバスに乗っていいのかすらわかりませんでしたが、何となくの感覚で、今いる場所と娘の保育所の中間地点にあたる場所方面行のバスがあり、幸いその停留所には列がなくすぐに乗れたので、それに飛び乗りました。

そのバスに乗って終点地の駅に着くころに鉄道が復旧していることを望みましたが、やはり完全にストップしていました。親切な駅員さんが、この先1.5㎞の場所にバスの車庫があるので、そこまで歩いてみてはどうかと提案されました。このときには既に日が暮れかかり、段々と暗くなる初めて通る道に不安を抱えつつ歩き進めました。

1.5㎞を歩いてその車庫に着くと、そこから娘の保育所の最寄り駅の隣駅行きのバスがあることを知り、またそれに飛び乗りました。

最初は順調に進んでいたバスは、いつしかスピードが遅くなり、明らかに渋滞にはまっているのに気付きました。今度はバスが動かなくなってしまったのです。

ですが、全く分からない場所で降りても、そこから娘の保育所にどうやって行けばいいのかわからなければ意味がないと思い、とにかく聞いたことのある地名が出てくるまで待つことにしました。

そして、聞いたことのある地名が出て、運転手さんも「この先いつ辿り着くかわかりません」とのアナウンスがあったので、思い切って下車し、すぐにコンビニを見つけ、地図を買い、店員さんに現在地と娘の保育所の場所を教えてもらったところ、ここからまだ4㎞ほどあるとの回答でした。

そのとき既に午後7時30分になっていました。

娘の保育所は最大午後8時までしか預かってもらえません。

慣れないヒールを履いた私は覚悟を決め、4㎞先を目指してひたすら走り続けました。娘の保育所近くに目印となる高層ビルがありましたが、走っても走っても全然近づかない。でも時間は刻々と過ぎていく。本当にこの道で大丈夫なのだろうか…と不安を抱えつつ走り続け、私は完全に息が上がった状態で娘の保育所に到着しました。時間は午後8時ジャストでした。

 

保育所はゴールではなかった

この日は金曜日で娘は乳児だったので、保育所から渡された大きなバッグの中には、使用済バスタオル3枚、使用済着替え5セット、使用済オムツ10個以上がぎっしりと詰まっていました。私は娘の保育所かばんを右肩に、自分の通勤バッグを左肩に、抱っこひもで娘を前に抱っこという、1.5㎞の徒歩+4㎞のダッシュで疲労困憊した体に、荷物+娘で軽く10㎏以上はある重しをさらに装着して、保育所の最寄駅からバスで帰ろうとしました。

 

バスを待つ間、私は夫に娘をピックアップした旨をメールし、ふと顔を上げると、メールを打つ前に目の前にいた車が1㎜たりとも動いていないことに気付きました。そして辺りを見回すと、路上にあるどの車も全く動いていないことに気付き、ここで私は、重い荷物と1歳半の娘を抱っこしつつ、ここからさらに1時間以上歩いて帰らなければならない事実を悟りました。

 

東京は坂が多く、見た目以上にアップダウンがあります。

私は、またも先ほどコンビニで買った地図を頼りに自宅への道のりをひたすら歩き続けました。途中、娘がひどく泣き出せばおんぶにし、肩がつらくなれば抱っこに戻し…を繰り返しつつ。

結局自宅に到着したのは、午後9時30分。

私が職場を出てから5時間後のことでした。

 

3.11の後の状況

東日本大震災が発生した後、東京からしばらくネオンが消えました。

福島第一原発が水蒸気爆発を起こした日の電車は、すし詰めという言葉どころではない、おそらく乗車率300%以上のひどい有様で、車内には怒号が飛び交っていました。

スーパーから食料品、とりわけミネラルウォーターと生鮮食品、ベビーフードがなくなり、紙おむつも長らく品切れが続きました。

大人はまだしも、まだ離乳食が完了していなかった娘の食事をどうしたらいいのか、日々の紙おむつはどうしたらいいのか、途方にくれました。

本当に本当に困って、初めて自分から双方の実家にそれらの物を送ってほしいと頭を下げました。

あの日のこと、あの時期のことを思い出そうとしても、あの孤独で慌ただしく時時刻刻と変わる状況をどう切り抜けたのか、詳細はあまり思い出せません。ただ、間違いなく日々を生きるのに精いっぱいでした。

 

当時のことを振り返り、私がとった行動は全く正しいとは言えず、余震や火災などの二次災害を考えるととても危険な行動だったと思いますが、あの時の私には娘を迎えに行くことだけしか考えられませんでした

東日本大震災は、私が東京で生きていくうえでのたくさんの課題を突き付けた、大きな出来事で、私はこれからも、3月11日になればこの日のことを思い出すし、おそらく一生忘れられない体験なのでしょう。

一方で、昨夜『大倉くんと高橋くん』で大倉さんが言ったように、忘れるくらい楽しい瞬間も大切にしたいと思います。

阪神淡路大震災東日本大震災を体験し、関西に帰る選択肢を選ばずに東京に留まることを選んだ。

そんな関ジャニ∞に、もしかしたら私は同士のような感情さえ抱いているのかもしれないと、昨夜の『大倉くんと高橋くん』を聴きながら思いました。