なーママふわ∞ポム日記

なーママふわ∞ポム日記

~KinKi Kids・嵐・関ジャニ∞を通じたあれこれをふわふわと綴るブログ~

柴崎岳と大倉忠義

サッカーロシアワールドカップが盛り上がっている。

初戦のコロンビア戦の勝利、続く第2戦のセネガル戦の引き分けでグループリーグ突破が見えてきたからか、日本でこんなにサッカーが話題に上っているのは久しぶりのような気がする。

 

かつて私は、代表戦からJFLまで、毎週のようにサッカー国内リーグを観戦していた時期があった。とはいえ、国内遠征はしないし、ましてや海外に足を運ぶほど熱心なファンではない。それに、Jリーグの選手の所属先はわかるとしても、海外でプレーする選手の所属クラブはほとんど言えない。所詮お茶の間に毛が生えた程度のにわかファンだ。

攻撃的MF 

私が最もサッカー場に足を運んでいた時期から今までずっと、プレースタイルが好きな選手がいる。

それは、ガンバ大阪所属の遠藤保仁選手(愛称:ヤット)だ。

ヤットさんのポジションは攻撃的ミッドフィールダー(MF)。簡単に言えば、ゴールに繋がるような攻撃を考え、パスを出す役割。つまり、サッカーでは『頭脳』のポジションで、司令塔とも言われる。

脳が末端の神経に正確な信号を送るのと同じように、攻撃的MFは正確なパスを出すことが求められる。「正確」とは、単に選手の足下に落下するようボールを蹴ることだけではない。ボールを受ける選手が次の攻撃の起点を作れるよう、その選手が走って追いつける強さと速さを計算しながらパスを出すことも求められる。フリーキックなら、ゴールを決める選手が相手チームの牽制をかわしつつ、その選手が最もヘディングを決めやすい位置、かつその選手の頭にボールが落ちるよう計算してボールを蹴ることも含まれる。

攻撃的MFは、観客と同じ目線、つまりピッチを上から見下ろす俯瞰の目を持つことも重要で、ヤットさんはこれに長けた選手と言われる。

だから、ヤットさんが作り出した攻撃の形がゴールを決めたのを目の当たりにすると、時々身震いがした。スポーツ紙が一面に載せるのはゴールを決めた瞬間がほとんどだけど、私はその何個も前の、中盤のプレーを観るのが今でも好きだ。

背番号7 

サッカー日本代表では長らく、この攻撃的MFの正ポジションの選手が背番号7をつけている。もちろんヤットさんもつけた。ちなみに、ヤットさんの前は中田英寿さんだった。

しかし、スポーツ選手には必ず世代交代がやってくる。

6年前の2012年、当時不動の日本代表背番号7だったヤットさんが、ある番組で「ポスト遠藤は誰か」と聞かれた。よくよく考えれば大変失礼な質問だが、自分が現役であることを強調したうえで、ヤットさんが名前を挙げた選手、それが当時20歳だった柴崎岳選手だった。 

そしてヤットさんは、柴崎選手を選んだ理由をこう答えている。

「クールにボールをさばくから」

 

サッカーは、時に激しく体と体がぶつかり、それが原因で小競り合いになることもある。

だけど、日本代表の背番号7を背負ってきたヤットさんや中田英寿さんは、たとえ激しくプレスされても、90分間クールにプレーし続けるのがほとんどだった。

それはきっと、チームには常に冷静に俯瞰の目を保ち続けることのできるメンバーが不可欠で、それが日本代表では長年背番号7が担ってきたのだと私は思う。

そして、ヤットさんが後継者を口にした6年後、後継者に指名された柴崎選手は、日本代表として背番号7を背負い、ロシアワールドカップの舞台に立っている。

「柴崎が関ジャニの大倉に似ている」 

ワールドカップが近づくにつれ、

「柴崎選手と関ジャニ∞の大倉くんが似ている」

と話題に上ることが多くなった。

ところが、これがどうもeighterさん、特に大倉担さんの間ではあまり快く思われていないように私には見える。

「サッカー界のイケメン」と言っても、スポーツ選手は顔の良し悪しで選抜されるわけではないし、実際比べてどちらがイケメンかと言われれば、多くの人が大倉さんと答えるだろう。

しかし、私はにわかサッカーファン兼関ジャニ∞のファンとしてあえてこう言いたい。

確かに、柴崎選手と大倉さんは似ている。

ただし、それは顔云々ではなく、チーム内の立ち位置や思考という点で、だ。

分野の違う2人の共通点

今の日本代表の平均年齢は28.26歳。柴崎選手は26歳で平均以下だ。

一方、関ジャニ∞の本年度の平均年齢は35.28歳。大倉さんは33歳で平均以下だ。

柴崎選手のポジションは攻撃的MF。ゴール前の選手からは数歩引いた位置で攻撃の流れを作る役割だ。

一方、大倉さんの担当楽器はドラム。後列で音楽の流れを作る役割だ。

柴崎選手は正確なパスを出すこと有名。

一方、大倉さんのリズムが正確であることは、仕分けの太鼓の達人で有名だ。

そして、

diamond.jp

この記事にある通り、

柴崎選手は普段冷静沈着な発言だが、時に大事な場面で秘めたる思いを口にする。

それは大倉さんも同じであるのは、4/15の渋谷すばる脱退会見を見れば明らかだ。

そして2人の最大の共通点は、俯瞰の目を持っていることだと私は思う。

その俯瞰の目があるからこそ、前線にいるメンバーは前に出られ、後ろで守るメンバーはチームを守ることができ、チーム全体を落ち着かせることができるのだと私は思う。

せっかくなので両方楽しもう 

柴崎選手はヤットさんの正ポジションを奪った選手ともいえるので、私がサッカー観戦から遠ざかった原因の一つでもある。

しかし、今回のW杯を観て、やはり柴崎選手は素晴らしいプレーをする選手だし、久しぶりに高揚した。

ヤットさんが自ら後継者に名指しした理由もわかるし、サッカーファンの期待を大きく背負う重い背番号である『7番』を、チームの平均年齢以下で背負っている柴崎選手へのプレッシャーと、それに対する彼の覚悟も感じる。

そして何より、私は彼のプレースタイルが好きだ。

 

せっかくの4年に一度の祭典。

顔が似ている云々はさておき、

大倉さん(関ジャニ∞)ファンの方は、予選最終戦ポーランド戦で背番号7に注目してみてください。

サッカーファンの方は、関ジャニ∞をテレビで観る機会があれば、ぜひ大倉忠義に注目してみてください。

そうすれば、この2人の共通点と、相反する点が両方わかると思います。

相反する点を一つ挙げるなら、大倉忠義はグループ内にいるとき、大きな口を開けてゲラゲラ笑いがちです。

ですが、明日に迫った予選最終戦ポーランド戦終了後には、もしかしたら柴崎選手の屈託ない笑顔が見られるかもしれません。

そんなところにもご注目いただき、本日のテレ東音楽祭や明日の日本×ポーランド戦をぜひお楽しみください。

『生きろ』はメンバーに宛てた曲でもあったのかもしれない

先日、関ジャニ∞の『生きろ』を聴いていたときのことです。

念のため。

『生きろ』は、関ジャニ∞が昨年リリースしたアルバム『ジャム』通常盤に収録され、渋谷すばるさんが作詞・作曲・編曲を手掛けた曲です。

2番の、

もう一度生まれた 広がる

というところ。

安田さんのパートです。

何十回と聴いているこの曲のこの部分を聴いて、私は雷が落ちたような感覚になりました。

『生きろ』が作られるまで

『生きろ』の制作過程は、すばるさんが自らラジオの中で語っています。

時系列でまとめると、

①食事中突然に、冒頭の「広がる 広がる…」のメロディーと歌詞が浮かぶ。

②アルバムの一番最初の打合せで「バンド曲で1曲ある」と自ら提案。

③レコーディング直前に歌詞を書く。

という順序で作られたそうです。

加えて、この曲はメンバー自ら演奏していますが、すばるさんが最低限のコードだけ伝え、後はメンバーそれぞれに自分の楽器の譜面を考えてきてもらった、とも言っています。

すばるさんが語った曲への思い

これもスバラジで、

  • 特に若い人に、「何もせえへん」と無関心や諦めるような人間になってもらいたくない。
  • 今の関ジャニ∞7人が「生きろ」というどストレートなメッセージを思いっきりぶつけるのも、ものすごく力強くていいのかな、と思った。

と、すばるさんが自らの若い頃を振り返りながら語りました。

 

ここからは勝手な私の解釈ですが、

このスバラジですばるさんは「…という思い『も』ある」という言い方をしていたと記憶しています(間違っていたらすみません)。

ですから、このときには語られなかった、他の思い「も」あったのではないか。

それは、関ジャニ∞の、他の6人に対する思いだったんじゃないか。

冒頭の安田さんの歌声を聴いて、私は急にそう思ったのです。

私の勝手な『生きろ』の別の解釈 

ここで、改めて歌詞を見直します。 

まず、1番のAメロとBメロ。

苛立ってた 固まってた 怖がってた

流されてた 泣かされてた なんで だって

 

積み上げたもの 気付かず壊した

何度も生まれて 広がる

私の偏見的視点からは、ここが過去の(遅くとも去年までの)関ジャニ∞を表しているように見えてきます。

いつまでもコミックソングしか歌わせてもらえない苛立ち。

東京で冠番組を持ち続けていくことの難しさと悔しさ。

メンバーの脱退。

誰かが、意図的でなく、積み上げたと思ったら壊してしまっていた。

だけど、何度もそれを繰り返し、グループは広がった。

そんな風に解釈してしまいます。

 

次に、2番のAメロとBメロ。

いつか分からなくなって 光のない重い声で

できる限り繋げた 手を伸ばした

 

積み上げたもの 離さず壊した

もう一度生まれた 広がる

ここが予言的で、まるで今年に入ってからの関ジャニ∞のように私には見えてしまいます。

なぜなら、ここのパートにはすばるさんがいないからです。

 

メインボーカルであるすばるさんから告げられる退所の意思。青天の霹靂。

6人の戸惑い、これからどうしたらいいのか、既に決まっている仕事はあるのに、そこへの道のりは暗く、見えない。これまでにない重い空気の中での幾度に亘る話し合い。

最終的に6人は、すばるさんの申し出を受け入れる。そして、グループを続けるために、できる限りのことを全力で…。

すばるさんは想像していたのか、あるいは見えていたのだろうか、とさえ思えてきます。

 

2番では、積み上げたものは「離さず」壊した、とあります。

これまでの曲、レギュラー番組、バンド。

そうやって積み上げたものは手放さず、ただ、すばるさんがいなくなることにより形は変わる。

 

そして、

もう一度生まれた 広がる

関ジャニ∞が6人としてもう一度生まれ、そして、海外公演などでさらに広がっていこうとしていること。

まるでそれを表しているように、突然そう思えたのです。

 

2番の最後には、 

誰でもない あなたを生きて 生きて 

とすばるさんが歌います。

それは、まるですばるさんが6人に、「あなた」を、「関ジャニ∞」を生きてほしい、とメッセージを送っているように聴こえてきます。

 

この部分、1番では丸山さんが歌っています。

今の私がこの部分を聴くと、ライヴ前に円陣を組んでチーム関ジャニ∞を鼓舞している丸山さんの画が思い浮かびます。

すばるさんがこのパートを丸山さんにした理由はわかりませんが、その画が脳裏に浮かぶ私にはすごく納得できます。

まるで課題曲

スバラジで『生きろ』の演奏部分をメンバーそれぞれに考えてもらったとラジオで聞いた当時、私は、

「まるで課題曲だな」

と思いました。

そして、それは本当にそうだったのかもしれません。

「6人になっても自分たちで関ジャニ∞の音楽を作り続けてほしい」

という、すばるさんから他のメンバーへの願いと、そのための課題だったのかもしれない、と。

 

そしてすばるさんは、本当に嬉しそうに語っていました。

「みんな考えてきてくれて、それがものすごく嬉しかった」

「マルと大倉のベースドラムはしっかり汲み取ってやってくれてた」

その中でも絶賛していたのが

「ヤスのギターはマジ発明的でした。やっぱりすげぇなぁ、ギタリストって。」

 

きっと6人はすばるさんの課題をクリアしたのでしょう。

そして、すばるさんは6人に対し、関ジャニ∞の音楽をもう一度生まれさせ、広げさせると確信したと私は思っています。

おそらくもう歌われない、だけど、

作詞・作曲・編曲がすばるさんである以上、諸権利の問題があるので、この曲が関ジャニ∞として披露されることは、おそらくもうないのだと思います。

だけど、すばるさんが特に若い方に対し強いメッセージを込めて作ったこの曲は、大切な曲としてeighterさんの間でいつまでも残っていくでしょう。

すばるさんの身体を関ジャニ∞に残すことはできなかったけれど、すばるさんは声・映像・思いを関ジャニ∞にきちんと残したのだと私は思っています。

 

そして私は、こんな素晴らしい曲を贈ってくれたすばるさんにも「生きろ」とエールを送りたいです。

私の、ファンの「寂しい」という気持ちは、おそらくいつまでもeighterさんやファンの中に残っていきます。

だって、すばるさんは関ジャニ∞の中にたくさんのものを残しているから。

だけど、素敵な言葉をくれたすばるさんに、すばるさんがくれた同じ素敵な言葉を返したいです。

  

すばるさん。

大切な曲を残してくれてありがとう。

そして、誰でもない「あなた」を生きてください。

 

そして今日、ベストアルバム『GR8EST』のアプリ配信が発表されました。

www.infinity-r.jp

『生きろ』の最後の歌詞を記します。

生き進め

生き進め

明日を越え

生き進め

 

広がる広がる

目の前 世界が広がる

私たちファンの速度よりももっともっと早く、6人の関ジャニ∞はもう一度生まれ、広がろうと「生き進め」ているように感じます。

 

ベストアルバムを引っさげた夏のツアーの当落も発表されました。

置いて行かれないように、しっかりとその姿を追っていきます。

だけど、時々6人で振り返って、私たちファンに「ほら、おいで」って手を差し伸べて下さい。

そして、広がった世界を一緒に見せて下さいね。

大倉忠義さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

5/12のラジオ『大倉くんと高橋くん』で新録『大阪ロマネスク』が初OAされました。

以来、私の頭の中には、4/15の会見で大倉さんから発せられた言葉がぐるぐると回っています。

 

関ジャニ∞にいて叶えられない夢なのか」

 

あの新録ロマネを聴いたら、私もそう思わずにいられませんでした。

『大阪ロマネスク』は、KinKi Kidsの『硝子の少年』のような曲だと私は思っています。

『硝子の少年』を作曲した山下達郎さんは、楽曲提供の際KinKi Kidsに「20年30年経っても歌っていける曲」と言ったそうです。

新録ロマネを聴いて、関ジャニ∞は、8人時代から歌ってきたこの曲を、自分たちでこんなにも豊かな表現に進化させたんだと感じたし、これからも7人で歌い続けていく曲だったはずだと思いました。

 

だからこそ、大倉さんのあの言葉がリフレインしたのです。

すばるさん、その夢は、他の6人と、周りのスタッフと、eighterさんをはじめファンと、みんなで一緒に追いかけることはできなかったのか、と。

 

大倉さんはラジオで会見を振り返り「(自分が)大人げないと思った」と反省の弁を述べていました。

だけど、あの言葉がなかったら、少なくとも私は新録ロマネを聴いて、すばるさんに怒り狂っていたかもしれない。

メンバーの中で常に俯瞰でグループを見る大倉さんがそう思ったんだから…と自分自身を納得させることができたのです。

 

そして次に、この言葉を思い出しました。

「勝手な決断をしたすばるくんのことを嫌いになれなかった」

「すばるくんがそういう夢を持ったのであれば、応援『するべき』なのかな」

 

滲み出る悔しさ。無念さ。

この言葉は、きっと多くのeighterさんが今も抱いている感情と同じだと思います。

すばるさんの決断を全面的に肯定できるわけじゃない。

だけど、応援『するべき』だから見送ろうとしている。

適切で的確な言葉に胸を打たれました。

  

 7/15。関ジャニ'sエイターテインメントGR8ESTツアー初日。

もしバンド曲をするなら、大倉さんから見たステージの景色はきっと変わっていて、

そのステージ越しに見る観客は、大倉さんの目にどのように映るんでしょうか。

すばるさんが関ジャニ∞を脱退した初日ということもあり、もしかしたらカメラが入るかもしれません。ですが、あの会見の時のように、着飾らず、ありのままに感じた思いを、大倉さんの言葉で伝えてほしいです。きっとその言葉は、多くのeighterさんをはじめ関ジャニ∞ファンの心に響くものになると思うから。

 

そして、大倉さんが役者として少しずつ幅を広げている瞬間に立ちあっていることが嬉しいです。

32歳で挑戦した舞台『蜘蛛女のキス』が、今クールのドラマ『モンテ・クリスト伯』につながっているのだと信じています。

海外公演や15周年に向けた様々なグループとしての企画が今着々と進められているのでしょうが、個人の活動もどんどん挑戦して、33歳でもいろんな大倉忠義を見せてくださいね。

 

まずは、33歳の大倉さんに夏ツアーで会えることを祈ります。

楽しみです!

横山裕さん、37歳のお誕生日おめでとうございます!

横山裕さん。
私は横山裕という人の、喜怒哀楽を隠さない人間性にとても魅力を感じます。

  

私が36歳になった横山さんを最初に見たのは、舞台『上を下へのジレッタ』。
もう1年ですか。早いですね。
 
横山さんは、どちらかというと音楽に苦手意識があった人だと私は思っています。
そんな横山さんにとって、ジレッタというミュージカルの舞台は、苦手な分野を一つ克服する課題でもあったように私には見えました。
私は2公演行かせていただきましたが、いずれの公演でも観客の直接の反応と対峙していたように感じました。  
 
このように、緊張の連続だったであろうジレッタのカーテンコールで、横山さんが見せた顔。
招待席を一瞥した横山さんの、それまでの緊張した顔が一瞬で解き放たれ、フワッと笑みを浮かべた瞬間。
後に、それは惜しみないスタンディングオベーションで親友を称える相葉ちゃんの姿を見たからだと知ったとき、決してテレビでは見られないその表情が忘れられなくなりました。
 
そう、私が現場に足を運ぶ理由の一つに、テレビでは見せない横山裕の表情が見たい、という動機があることに私は気づきました。
 
門前演じる横山さんを見て「これからしばらくお芝居の仕事が増えるだろうな」と思いました。その予想通り、舞台を終え、ananで芸術的な写真を撮ったすぐ後に、今秋公開の『累』を撮影していたんですよね。もしかすると、もう既に他の映画を撮り終えているとか、あるいはお芝居のオファーがあるかもしれません。
 
役者として求められる横山裕が誇らしい反面、関ジャニ∞の音楽を豊かにしているのは、横山さんのトラちゃんであり、打楽器なのは明らかです。オファーされた仕事は断らない横山さん。お忙しいのは重々承知していますが、どうか楽器の練習も続けてほしいなと願います。
 
 
そして、36歳はかけがえのない仕事仲間と別の道を進むことが決まった年でもありました。 
4/15の会見。
すばるさんが最初に語り始めたとき、横山さんは机に突っ伏して泣いたと聞きました。
その後に出た、
「正直、今日という日が来ないでほしいと思った」
という言葉。 
  
 
あの日、涙を流す姿とこの率直な言葉に、どれほどの関ジャニ∞ファンが救われたでしょうか。
泣いていいんだ、悲しい気持ちを隠さなくていいんだ、と思えたのは、やはり喜怒哀楽を隠そうとしない横山さんを見たからでした。
 
そして同時に「下を向いていてはいけない」という言葉も私の心に響きました。
こんなにつらい姿を世に晒しても、なお前に向かって歩を進めようとしている。
そんな人の背中を追っていきたい。
そう思えました。
 
私の心の中は、悲しい気持ちと応援する気持ちが同居する奇妙な形になっていますが、それはきっと横山さんも同じですよね。奇妙な状態をありのままに受け入れ、しばらく同居させておこうと思います。 
 
そして、 
横山さんももう37歳ですから、 
そろそろ家庭を築いても私は怒りません()
横山さんが、他人の子どもなのにまるで自分の子どもを見つめるかのような穏やかな目で、誰が見ても「横山さんは子ども好き」と分かるほど優しく子どもと接する姿をこの目で見てしまって以来、私は横山さんにはパパになる幸せも築いてほしいなと思ってしまっています。
ただし、女性への理想が高いのが高い壁ですけど…ね(苦笑)
 
 
さて、
夏のツアーで6人の関ジャニ∞が、どんなエンターテインメントを見せてくれるか、とても楽しみです。娘も楽しみにしていますよ! 
その前に、7人の関ジャニ∞のエンターテインメントも、あと2か月の間にたくさん見せてくださいね。心に、HDD()、しっかり残しておこうと思います。
 
37歳の横山裕も楽しみにしています。

娘、KinKi Kids、そして6人の関ジャニ∞

あの記者会見から10日経ちました。

 

あの日から立ち止まったままの人。

前を向こうとしている人。

前へ一歩踏み出したばかりの人。

既に何歩か歩み始めた人。

 

私は、比較的、前を向くのが早かったかもしれません。

それでもふと、すばるさんがいなくなることに寂しさを感じ、涙がこぼれます。

その気持ちは、徐々に薄れることはあってもなくなることはないでしょう。

 

当初、私は今年の夏のツアーを7人でやってほしいと思っていました。

その気持ちがゼロになったわけではありません。

ですが、今は6人でのツアーを楽しみにしています。

そう考えるきっかけを最初に私にくれたのは娘でした。

娘の一言

我が家のブルーレイは『関ジャニ∞』というキーワードで色んな番組を勝手に録画します。

ご想像のとおり、4/16(月)はほぼフル稼働で様々な番組を録画し、とんでもない容量を消費してしまいました。

その中から、私はPON!を娘に見せました。

 

娘は、時には「うんうん」と頷きながら、編集された20分間の会見の様子を真剣なまなざしで見つめ、じっとテレビの前に座り続けました。

観終わった後、

「次の夏のライヴにはもうすばる出ないんだって。最後に出てほしいよね。」

と私が言ったら、娘は

「…でもさぁ、無理なんでしょ。」

と言いました。

 

私はハッとしました。

私の心の中にあった甘い見通し

「次のツアーは最後に7人でやってほしい。」

私はそう思っていました。

ですが、こんな想定外の出来事が起こってもなお、私は見通しの甘い考えを無意識に持っていました。

 

※以下は、あくまで私だけの甘い考えで、「7人で最後にツアーをしてほしい」と考えている他の人は全く違う考えです※

 

それは、

「今年の夏のツアーがどうであれ、その次のツアーは6人」

という、何の根拠も確信もない自信から来る考えでした。

 

ここ数年、関ジャニ∞は毎年ツアーをやっている。

来年は15周年。

だから、来年もツアーをやる。

それなら、今年は7人でやって、来年から6人で…。

…気付かぬうちに私は、心の奥底でそう思っていました。

 

来年ツアーがあると公式が発表していないのに?

15周年だからツアーをやるという根拠は?

むしろ、この夏に7人でツアーをやったら、燃え尽きたり、6人で音楽を続ける目標や意義を見失ってしまうメンバーもいるかもしれないじゃないか。

 

娘の発言を通じて、そんな声が私の頭に突き刺さったように感じました。

  

7人のツアーをしたことで、

6人が音楽活動にモチベーションを保てなくなるのだとしたら、

あるいは、周囲が6人の音楽活動を必要としなくなったとしたら。

私は絶対にイヤ。

ステージに立つことを躊躇する関ジャニ∞は見たくない。

ステージに立つ関ジャニ∞を見たい。

 

そう思ったとき、私は気づきました。

私にとって一番嫌なことは、直接パフォーマンスを見られなくなることなんだ、と。

 

そして、掛け持ちの私は、応援しているアイドルが一時期ステージに立てなくなった姿を思い出しました。

KinKi Kids2017-2018コンサート

昨年、堂本剛さんは突発性難聴を発症しました。

音楽番組への出演を取りやめただけでなく、

ニューシングルを引っさげた各音楽番組の出演もできず、

ソロ出演が発表されていたサマソニの出演を取りやめ、

さらに、ソロでここ数年続けている平安神宮コンサートの中止に至りました。

(20周年Partyは別の場所からの中継となったのは皆さんご承知のとおりです。)

 

2017年12月から2018年1月にかけてのドームツアーが発表されたときも、私は、

「大丈夫かな」

「無理してるんじゃないかな」

と心配の方が強かったし、

コンサート当日も、

「本当にKinKi Kidsは姿を現すのだろうか…」と半信半疑でした。 

na-mother.hatenablog.com

こちらの記事で書いたとおり、

ステージ上の2人の姿を見て歌声を聴いたとき、

一瞬で涙がこぼれました。

「ステージに立つことを選んでくれてありがとう」

この気持ちが大きかったと、今振り返って思います。

 

もちろん剛さんは体調が万全ではありませんでした。

時々キーがとりづらそうだったり、歌と同時にダンス・ギターはできませんでした。

それでも、

剛さんのソロには、あえて歌わずダンスのみにした楽曲があったり、

2人の曲でも、光一さんは通常通り歌いながら踊る楽曲もありました。

KinKi Kidsのパフォーマンスとしては、これまでのものに比べ劣るかもしれない。

だけど、 

na-mother.hatenablog.com

こちらの記事で書いた、堂本剛さんの言葉をもう一度記します。 

人生には無理してでも立ちたい場所ってあるじゃないですか。

無理をしてでも価値のあること、それ以上に得られるものがあるから。

無理をしてでも立ちたい場所

2018年7月15日。

関ジャニ∞は札幌ドームから6人で活動を開始します。

この日は、

渋谷すばるが前日まで関ジャニ∞として活動していた日でもあり、

関ジャニ∞から渋谷すばるがいなくなる初日でもあります。

ただ、それは同時に、

関ジャニ∞の『関ジャニ'sエイターテインメント GR8EST』ツアー初日でもあり、

関ジャニ∞が6人で活動を始める初日でもあります。

 

今回のすばるさんの退所により、ジャニーズアイドルたちがツアーのために約1年の歳月を費やしていることが明らかになりました。

 

グループの活動に並行して個人の活動も充実している関ジャニ∞

そんな彼らが、

7/15のツアー初日までに、

  • (少なくとも)ツアーのセットリストの歌の割り振り
  • (少なくとも)ツアーのセットリストのダンスのフォーメーション変更
  • 安田さんと錦戸さんについては、3人でのギター譜面→2人でのギター譜面になると思われるため、譜面の覚え直し

これらを約90日間でやり直し、仕上げてくるという切羽詰まった状況に今います。

 

スバラジですばるさんが語ったように、

eighterさんは最後に7人でのツアーを望んでいるし、

メンバー自身も、大河や連ドラに出演したり、舞台の座長を務めいつも以上に忙しいメンバーもいるのだから、7人でのツアーの方が圧倒的に楽です。

だけど、6人はそちらを選ばなかった。

6人はあえていばらの道を進もうとしています。

その事実を、私は受け止めることにしました。

 

パフォーマンスの内容は、これまでのツアーと比べて明らかに悪いのかもしれない。

だけど、昨年末に堂本剛さんがファンに残した言葉と同じものを、関ジャニ∞の6人もまた心に抱いているのだと私は思っています。

無理してでも立ちたい場所。

無理をしてでも価値のあること。

それ以上に得られるもの。

それが関ジャニ∞にとって何なのか、

私は直接この目で見たいです。

 

おそらく私は、KinKi Kidsのときと同様、

ステージに現れた6人を見て、歌声を聴いて号泣し、

「ありがとう」

と呟くでしょう。

そして、

同じくらいたくさん笑うでしょう。

 

記者会見から3日後、娘はこんなものを作って帰ってきました。

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「これから関ジャニ∞が6人になっても、いつまでもエイトみんなが元気でいられますように」

そんな願いを込めて作ったそうです*1

オレンジの紐を見て、

娘には「ファンとグループを繋げる役割=丸山さん」に見えているのかな、

と想像しています。 

 

この夏に6人が伝えたい思い。

6人がそのステージに立つ意味。

それらをしっかり受け取りたい。

 

私はそんな気持ちでいっぱいですが、

まだ立ち止まっている人はそれでいいんです。

7人の最後のツアーを望んでもいい。

関ジャニ∞というグループのステージが見られなくなるのはイヤ」

私のこの気持ちもワガママですから。

今は自分の気持ちに正直に、ワガママに。

 

さて、当選祈願!!(まだ申し込みも始まってないけど(笑))

*1:黒っぽく見えるのは実は青。黒は配色的に入れるのが難しかったと言っていました。これを入れた袋に黒で名前を書いたので全員揃った、が娘の主張です。

拝啓、渋谷すばる様

約3か月放置していたブログが、このような形で更新することになるとは思っていませんでした。

思いついたことを書いているので、途中読みづらい点があることをご了承ください。

まず最初にこれだけは言いたい。

渋谷すばるさん。

 

ありがとう。

 

公式HPとかFAXとか、いくらでも逃げる方法はあった。

だけど、きちんと公の場に立ってくれてありがとう。

いつの間にか、そんなことができるようになっていたんですね。

私は、ファンになってもまだ貴方を誤解していました。

 

そして、ヨコ、ヒナ、丸ちゃん、ヤス*1、りょうくん、おーくらくん。

グループとして同席することを選んでくれてありがとう。

多くのファンが納得してないんだから、6人とも、程度の差はあれ、納得していない部分はあると思う。

それでも、渋谷すばるの、ジャニーズアイドルとしての最後の大仕事に立ち会う選択をしてくれてありがとう。

いえ、6人にとっても大仕事でしたよね。

本当に本当にありがとう。 

私が彼らに会った初めての日

もう終わった番組のことだからいいかな。

えい、書いちゃおう。

 

1年半前『モンスターハンターストーリーズRIDE ON』アニメ試写会で、私は初めて関ジャニ∞を直接この目で見ました。

めざましテレビでは足つぼマットの上での縄跳びしか放送されませんでしたが、あれは予選で、実際にはその後に決勝戦がありました。

その決勝戦に残ったのは、村上さんと丸山さん。

勝戦では会場から子ども2人が選ばれ、それぞれ村上さん・丸山さんとペアを組み、優勝を決めるジェスチャーゲームが行われました。

先攻は丸山さん。

ところが、ペアを組んだ子どもが正解できませんでした。

 

ゲームが終わった瞬間、

「…何してんの?マル」

と口火を切った、

その人こそが渋谷すばるさんでした。

 

そしてその後、

「今の何なん?」

「なんのつもりであのジェスチャーしたん?」

「え、何でなん?」

「ごめんな、マルがあんなんしたから分からへんかったやんな~。」

と、丸山さん以外のメンバーが次々と丸山さんに責任を押し付け始めました。

不正解の子どもが、自分を責めないように。

 

そして次は村上さんの番。

司会の女子アナが、次の子どもを会場から選ぶため、最初の子どもを会場に戻そうとしていたら、

「えっ?もう1回○○(子どもの名前)?」

「One more ○○?」

「席に戻っといてまた○○が来るんやろ?」

と、関ジャニ∞は丸山さんとペアを組んだ子どもが席に戻るその瞬間まで、ずっとイジり続けていました。

 

この光景を目の当たりにしたとき、

あぁ、私はこの人たちから離れることはないな、と確信しました。

7人それぞれが、打合せしたわけでもなく、ごく自然にすぐに役割分担し、それぞれの役割を全うする。

その真ん中にいるのがすばるさんで。

あのときすばるさんが口にした「…何してんの?マル」を、

他の6人は「この子のせいにしたらアカン」と即座に理解し、行動した。

圧倒的なチームワークと、彼ら、特にすばるさんの優しさに触れた。

この日が私の、関ジャニ∞、7人に、惚れてしまった日となりました。

2017年1月18日放送の『マツコ・有吉の怒り新党

ブログの下書きにずっと入っていたものの中に、この番組の投稿者からの「インドに行って人生観が変わった」という話から派生した、マツコさんと有吉さんのやりとりのメモ書きが残っていました。

以下、要約です。

マツコ「人生観は変えようと思えば明日からでも変われる。」

有吉「人生観って言うと重い感じがするけど、全然そんなことない。人生観なんて毎年変わる。5年前と言ってることが違って当たり前。」

マツコ「そこを突いてくる人たちって何なんだろうね。前と違うのがポリシーがないみたいな。絶対生きてたら変わらない?」

有吉「絶対そう。それが成長。」

 

そこから猿岩石時代のヒッチハイクの話になり、

マツコ「あの時ヒッチハイクで人生観が変わらなかったから、(有吉さんが)今ここにいるっていうところもあるからね。」

渋谷すばるは嘘をついていない

今回改めてマツコさんと有吉さんのやりとりを読み、私は少し救われました。

すばるさんが、

「アイドルやってる」と言ったことも、

「てっぺん目指す」と言ったことも、

どれも全部嘘ではない。

その時は本気でそう思っていたのだ。

私はそう信じることにしました。

 

だけど、

てっぺんを目指せば目指すほど、

すばるさんの意図していた『てっぺん』とは、違う方向に行ってしまったのかもしれない。

グループとして冠番組を4つ持つ。

当然、グループとしての音楽活動が減る。

個人が、ドラマ・映画・舞台・MC・バラエティと、番組を持つようになる。

当然、それぞれが音楽に費やせる時間が減る。

プレミアムフライデーのPR大使就任、大阪応援サポーター。

音楽を表現する場所ではない。

他のメンバーは、音楽以外の場所でそれぞれの務めを果たそうと仕事に邁進している。

それは、音楽を命がけで務めてきたすばるさんにとっては、

上に行けば行くほど個人としては置いてけぼりのような気持ちになったのかもしれない。

 

もしかしたら、ここ数年のすばるさんは「本気でアイドルやってみよう」と思って取り組んだのかもしれない。

やればやるほど、eighterさんは喜ぶ。

しかしそれは、音楽を命がけでやっているすばるさんにしてみれば「いつまでアイドル目線やってたらええねん」と思ってしまったのかもしれない。

 

一方、世間では「渋谷すばるの歌声はクセが強くて嫌い」と言われる。

「ミュージシャン気取り」

「大して上手くもないくせに」

と、本人は一度も自分がミュージシャンだとも歌が上手いとも言ったことがないのに中傷される。

じゃあボイストレーニングに行ったらいい、となるかもしれないが、その時間は他の仕事があるからなかなか費やせない。

 

勝手に私がそう思ってるだけで本当のことは分からない。

だけど、渋谷すばるジャニーズ事務所を退所することを決めた。

それは「アイドルという看板を下ろすことに決めた」ということだ。 

渋谷すばるさんへ

すばるさんが自分で退路を断ち、違う道へ進むことに、何の異議もありません。

だけど、

私はしばらく『渋谷すばる』を応援することはできません。

なぜなら、

今の私では「『関ジャニ∞の』『ジャニーズアイドルの』渋谷すばる」を探してしまうからです。

 

すばるさんは、自分でアイドルという看板を下ろすことに決めた。

それはつまり、渋谷すばるに『関ジャニ∞の』や『ジャニーズアイドルの』を求めることは許されないということ。

渋谷すばる』として生きていく。

私は、その決意を尊重したい。

退路を断った渋谷すばるに『関ジャニ∞の』や『ジャニーズアイドルの』を探してしまうのは、とっても失礼なことだと思うから。

 

私が「『関ジャニ∞の』『ジャニーズアイドルの』渋谷すばる」を過去のものとし、

「今を生きる渋谷すばる」に惚れることがあったら、

そのとき、関ジャニ∞とは全く別に、渋谷すばるを応援したいと思います。

 

こうやって書いているけれど、

本当はまだ泣いてるし、寂しいんやで。

だけどな、好きやから、あんたのことが好きやから、看板を下ろすあんたのことも好きになりたいから、

しばらくは応援せえへんしな。

 

それと、

海外に行くのはいいけれど、

悪いことを覚えて帰って来ないように。

今までは『ブルゾンちえみwithB』のブリリアンみたいに、両サイドにヨコヒナがいて守ってくれたけど、

これからヨコヒナは年下組の両サイドにいるんやから。

長年共に時間を過ごした仲間の顔に泥を塗ることだけは、絶対にアカンで。

 

では、

残り3か月の『関ジャニ∞渋谷すばる』と、

残り8か月の『ジャニーズアイドル渋谷すばる』を、

精一杯たくさん見せて下さい。

 

すばる。

ありがとう。

大好き。

*1:会見の場にはいなかったけど、心はあの会見場にあったと私は信じている。

櫻井翔と村上信五

櫻井翔:1982年1月25日生

村上信五:1982年1月26日生

同い年で誕生日1日違いのこの2人。

年男のこの2人について、誕生日記念に記事を書きます。

間違っているところがあればごめんなさい。

まず櫻井くんについて。

私がもし櫻井くんの母親だったら…

私は子を持つ親でもあるので、櫻井くんのことを考える時に親の立場から考えてしまうことがある。

 

櫻井くんは幼稚舎から大学まで慶応という生粋の慶応ボーイ。 

噂によると、慶応の幼稚舎は成績が良ければ入れるわけではないらしく、まずそれなりの家柄と両親の職業、資産状況が求められるらしい。つまり、親の状況+子どもの学力と素養が備わってはじめて入学が許されるとか。

そして、一般的に小学校のお受験では、母親のサポートが合格の必須条件と言われ、だから私立小学校に通う子どもの母親は専業主婦が多い傾向にあるとも聞く。

櫻井くんのご両親は共働きだったみたいだから、同じ学校に通う他の母親たちと比べてお母様は時間のやりくりが大変だっただろうな、と想像する。

 

そんな手塩にかけて育てられた櫻井くん。

たとえご両親がトップエリートを期待していなかったとしても、まさかアイドルの道へ進むとは、ご両親は夢にも思っていなかっただろう。

もし私に息子がいて、ある日突然「明日ジャニーズのオーディション受けに行くから」と言われたら、私は激しく動揺して「やめときなさい」と言ってしまうような気がする。

 

櫻井くんが入所した1995年当時のジャニーズアイドルは、高校に行くことすら難しく、中退を余儀なくされたり、そもそも通っていない子どもたちも多かった。

そのうえ、当時のジャニーズアイドルの寿命は短く、20代でグループを解散したり、あるいは事務所を辞めてしまうアイドルが多かった。

10代なんて、まだまだ人間として未熟な時期。

デビューの保証もなく、デビュー=成功とも限らない仕事、それがアイドル。

わずか14、15歳で、仕事か学歴か、どちらを選ぶか迫られるなんて、あまりに酷。

失敗を知らないからこそ自分の夢を選び、その世界からドロップアウトしてしまう。

そんな子どもたちの方が多いのかもしれない。

そんな刹那的な人生は、わが子には歩んでほしくない。

私ならこう思ってしまう。

 

名門私立小学校の父兄に対する私のイメージで櫻井くんのジャニーズ入りを妄想すると、

「櫻井さんとこのご長男、ジャニーズですって!」

「あらあら、一体どうなさったのかしらね~。お父様が立派な方だから、息子さんが反発されたのかしら。オホホホ~」

みたいな偏見のかたまりなのだけど(名門私立小学校にお子さんを通わせている父兄の方々、申し訳ありません)

もしかしたらご両親はそういう中傷を経験したかもしれない。

それでも、最終的には息子の意思を尊重したのだと思う。

櫻井翔ジャニーズ事務所を変えた 

櫻井くんが大学に入学した2000年頃、大卒のジャニーズアイドルは少なくともデビュー組にはいなかったように思う。

しかし、櫻井くんが大学進学を選んでから、それに続く後輩が多くなった。

少なくとも、ジャニーズで高卒がスタンダードになったと思う。

 

かつてジャニーズ事務所が学業よりタレント活動を優先せざるを得ないような仕事の入れ方をしていたことは、かなり問題だったと私は思っている。

その問題に対して、櫻井くんはアイドルという立場で自ら変革をもたらし、それが事務所に大きな変化をもたらした。

その功績は大きい。

 

しかも、櫻井くんは経済学部卒。

一般的に文系学部の中で最も留年の割合が高いと言われる学部を、櫻井くんはストレートの4年で卒業した。

後に櫻井くんは経済学部を選んだ理由について「あの学部は比較的ラクな方だよね、そりゃ嵐やりながらでも卒業できるよね、って言われたくなかったから」とインタビューで答えている。

嵐と関ジャニ∞の関係

かつて嵐と関ジャニ∞は度々因縁対決をしたりと、なぜか関ジャニ∞が嵐にメラメラと対抗心を燃やすパフォーマンスを繰り返していた。

実際のところはそうでもなく、嵐の風チーム(相葉・二宮・松本)は関ジャニ∞の年上組(横山・渋谷・村上、別名『三馬鹿』)+丸山さんと同期で、丸山さんを除くメンバーで合宿所生活を共にしていたことがあるし、その頃一緒に買い物に行ったりとごくありふれた男同士の付き合いをしていた。

そして大野くんは、かつて京都劇場で開催されていた『KYO TO KYO』で2年間座長を務め、当時関西Jr.だった関ジャニ∞のメンバーと一緒に出演した縁で、特に丸山さんとは、丸山さん曰く「家族みたい」とその存在を語るほどの間柄だ。

 

そんな嵐の4人と比べると、櫻井くんと関ジャニ∞の関係はイマイチ弱いように私には見えた。

共通点は、年上組と共に『8時だJ』に出演していたことだけど、櫻井くんは翼翔組のイメージが強く、三馬鹿と絡んでいた記憶が私にはあまり残っていない。

関ジャニ∞の一部のメンバーとはドラマで共演しているけど、ご飯に行ったとか、服をもらったとか、買い物行ったとか、そういうエピソードもあまり語られてこなかったように思う。

時を経て明かされる事実

だから、櫻井くんと村上さんが交流しているというイメージはなかった。

勝手にそう思い込んでいた。

 

だが、2016年2月のレコメンで衝撃の事実が明かされた。

「櫻井くんと村上さんが誕生日プレゼント交換」

私はリアルタイムでラジオを聴いていて、思わず声を上げた。

木箱に入ったういろうを楽屋に差し入れる村上さんと、『誕生日おめでとう 櫻井』と書かれた完璧なのし付きの贈り物をする櫻井くん。

でもこのときはまだ「誕生日に楽屋が隣になったら、さすがにスルーってわけにはいかないよねぇ」と思っていた自分がいた。

しかし、これを上回るエピソードが、今度は櫻井くんの口から『夜会』で明かされた。

要約すると、

「2002年か2003年、麻布十番で焼き肉を食べた後、一人暮らしの村上の家に行ってナイナイの矢部さんのビデオを夜通し観た。」

 

ちょ、ちょっと待て。

2002年か2003年といえば、櫻井くんがバンビ*1やってる頃。

嵐はデビューして、関ジャニ∞はまだCDデビューしていない。

だけど、嵐はデビュー以降伸び悩み、関ジャニ∞は松竹座を満席に出来ずに悔しい思いをしていた時期。

そんな時期が2人にあったのか…。

胸アツだし、めっちゃ青春。。。

 

私の、交流していないイメージが一気に崩れ去った瞬間でもあった。

2018年、タイプの違う2人がなぜか近づき合う

この2人はMCの立ち位置が多い。

しかし櫻井くんは、タッキーとの夜会でNEWS ZEROが始まる前『中居くんのように芸人さんを回すような立ち位置のMCはできない』と思い、だけどキャスターならできるかもしれないと考えた」と言っていた。

一方の村上さんは、最近週刊誌で『ポスト中居』なんて言われるくらい、バラエティーのMCのイメージが強い。

 

でも、このところの櫻井くんは、報道番組のキャスターだけでなく、大型音楽番組の司会をこなし、さらにバラエティ番組のMCとして立ち回ることも多くなってきた。

そして村上さんは、レギュラーの音楽番組とNHKの音楽特番の司会に加え、27時間テレビや4月からの経済を扱ったラジオ番組のスタートと、歴史や時事を扱う番組のMCを務めるようになってきた。

何となく、この2人が近づいてきている感覚になるのは私だけだろうか。

 

2018年ジャニーズカウントダウンコンサート。

ついに地上波の生放送で村上さんのサクラップが披露された。

そして年男企画。

先輩の歌をちゃんと唄おうとする真面目な相葉ちゃんの横ではしゃぐ櫻井くんと村上さんを観ていたら、平和で楽しい世界に元旦から心が満たされた。

 

改めまして、

櫻井くん、村上さん、36歳のお誕生日おめでとうございます。

年男のお2人にとって実り多き1年になるのを、掛け持ちファンとして見守っていきます。